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Wohlleben (2015), pp.90-92
どうして根がいちばん大切なのだろうか?
それは、この部分に樹木の脳があると考えられるからだ。
そう、"脳" だ。
大げさすぎるって?
しかし、木が学習をして経験を記憶できるのなら、記憶を貯めておく場所が必ずどこかにあるはずだ。
それがどこなのかはまだわかっていないが、その場所としては根がもっとも適した器官ではないだろうか。
スウェーデンの長寿トウヒの例からもわかるように、地中にある根は、樹木のなかでもいちばん長生きする部分だ。
根ほど情報を長期間蓄えるのに適した場所はほかにないだろう。
‥‥‥
植物と動物にたくさんの共通点があることが証明されれば、私たち人間の植物に対する態度がより思いやりのあるものになるのではないかと、私は期待している。
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「脳」とは,システムの中に神経系 (情報伝達システム) を見,さらにこれに「中枢─末端」の構造を見たときの中枢のことである。
そして情報伝達システムは,中央処理型情報伝達システムに限るのではない。
分散処理型情報伝達システムが,これに対するものとしてある。
しかしここで取り上げる問題は,樹木に脳があるかどうかではない (無いに決まっている)。
問題は,なぜ
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植物と動物にたくさんの共通点があることが証明されれば、
私たち人間の植物に対する態度がより思いやりのあるものになる」
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なのか?──である。
このときの「動物」の意味は,「人間に近いもの」である。
上の思いやり云々の一般形は,
「 |
○○と人間にたくさんの共通点があることが証明されれば、
私たち人間の○○に対する態度がより思いやりのあるものになる」
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なのである。
この手合いは,ひいきにしたい○○に対し,「○○を昇格させる」ということを考え,そしてその形を「人間に近づける」にする。
彼らはなぜそうなのか?
「神は自分の姿に似せて人間をつくった」の文化にいる者たちだからである。
「動物愛護・環境保護」を唱える者たちのご都合主義──特定の対象をひいきにする──は,これに由来する。
彼らが自分の論理を支離滅裂と思わないのは,彼らの文化に基づく。
実際,東洋の文化だと,植物を思いやるために「植物を人間に近づける」とはならない。
──その逆の「人間を植物並みとする」はあっても。
引用文献
Wohlleben, Peter (2015) :
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Das geheime Leben der Bäume : Was sie fühlen, wie sie kommunizieren ─ die Entdeckung einer verborgenen Welt.
Lutvig Verlag, 2015.
長谷川圭[訳]『樹木たちの知られざる生活──森林管理官が聴いた森の声』, 早川書房, 2017.
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