Up | 論理オンチ | 作成: 2021-11-25 更新: 2021-11-25 |
このロジックだと,鋸で挽かれて伐採される木は,人間が生身を鋸で挽かれるのと同じで,(動けるものなら七転八倒の) 痛みを感じているわけだ。 ひとには,いかんともしがたく音痴があるように,いかんともしがたく論理オンチがある。 論理オンチは,自分が断定して言うことがどんなふうに敷衍されることになるか,という概念がない。 よって,論理破綻 (支離滅裂) ということがわからない。 木には,動物にある痛みというものが無い。 なぜか。 動物の場合は,生活形態と相応に痛みの感覚を発達させることが,自然選択される条件になる。 痛みは,身の危害を忌避するいちばんの方法だからである。 動けない木は,忌避行動と無縁のものである。 よって,木にとって痛みは無用のものになる。 それどころか,忌避できないのに痛みに苛まれたら,ストレスで壊れてしまう。 よって,痛みをもつ木はもともと自然選択されない。 かくして,現前する木は,痛みというものがない。 ちなみに,魚は,「生活形態が鳥類・哺乳類と同程度」と見なした分だけ,「痛みの感覚が鳥類・哺乳類と同程度」と見ることになる。 よって,鳥類・哺乳類が釣り針で釣られるときに痛みを感じるものなら,魚も同程度に痛みを感じていることになる。 ひとは「キャッチ・アンド・リリース」を魚に優しい行為と思っているが,ただの虐待ということになる。 「動物愛護」を唱える者になるためには,論理オンチであることが必要である。 Wohlleben, Peter (2015) :
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