Up 論理オンチ 作成: 2021-11-25
更新: 2021-11-25


      Wohlleben (2015), p.56
    草や苗木も、ウシやシカに食べられるのを快く思っていない。
    オオカミに襲われるイノシシと同じで、シカにかじられるナラの苗も痛みと死の恐怖を感じている。

    このロジックだと,鋸で挽かれて伐採される木は,人間が生身を鋸で挽かれるのと同じで,(動けるものなら七転八倒の) 痛みを感じているわけだ。

    ひとには,いかんともしがたく音痴があるように,いかんともしがたく論理オンチがある。
    論理オンチは,自分が断定して言うことがどんなふうに敷衍されることになるか,という概念がない。
    よって,論理破綻 (支離滅裂) ということがわからない。


    木には,動物にある痛みというものが無い。
    なぜか。

    動物の場合は,生活形態と相応に痛みの感覚を発達させることが,自然選択される条件になる。
    痛みは,身の危害を忌避するいちばんの方法だからである。

    動けない木は,忌避行動と無縁のものである。
    よって,木にとって痛みは無用のものになる。
    それどころか,忌避できないのに痛みに苛まれたら,ストレスで壊れてしまう。
    よって,痛みをもつ木はもともと自然選択されない。
    かくして,現前する木は,痛みというものがない。


    ちなみに,魚は,「生活形態が鳥類・哺乳類と同程度」と見なした分だけ,「痛みの感覚が鳥類・哺乳類と同程度」と見ることになる。
    よって,鳥類・哺乳類が釣り針で釣られるときに痛みを感じるものなら,魚も同程度に痛みを感じていることになる。
    ひとは「キャッチ・アンド・リリース」を魚に優しい行為と思っているが,ただの虐待ということになる。
    「動物愛護」を唱える者になるためには,論理オンチであることが必要である。


    引用文献
     Wohlleben, Peter (2015) :
       Das geheime Leben der Bäume : Was sie fühlen, wie sie kommunizieren ─ die Entdeckung einer verborgenen Welt.
    Lutvig Verlag, 2015.
    長谷川圭[訳]『樹木たちの知られざる生活──森林管理官が聴いた森の声』, 早川書房, 2017.