はじめに,つぎの引用文を読んでもらいたい──論はその後で:
(長文だが, 「恣意的引用」の誹りを受けないために一節の全文をを引用)
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Wohlleben (2015), pp.10-15.
友情
私が管理している森のなかに、古いブナの木が集まっている場所がある。
数年前、そこで苔に覆われた岩を見つけた。
それまでは、気づかずに通り過ぎていたのだろう。
ところがある日、その岩が突然目に入った。
近寄ってよく見ると、その岩は奇妙な形をしている。
真ん中が空洞でアーチのようになっているのだ。
苔を少しつまみ上げてみると、その下には木の皮があった。
つまり、それは岩ではなく古い木だったのだ。
湿った土の上にあるブナの朽木は、通常は数年で腐ってしまう。
だが、私が見つけたその木はとても硬かった。
これには驚いた。持ち上げることさえできない。
土にしっかり埋まっていたのだろう。
ポケットからナイフを取り出し、樹皮の端を慎重にはがしてみた。
すると緑色の層が見えてきた。
緑色?
植物で緑といえばクロロフィルしか考えられない。
新鮮な葉に含まれていて、幹にも蓄えられている "葉緑素" である。
これが意味するのはただ一つ、その木はまだ死んでいないということだ!
そこから半径1メートル半の範囲に散らばっていた、ほかの "岩" の正体も明らかになった。
どれも古い大木の切り株だった。
切り株の表面の部分だけが残り、中身はとうの昔に朽ち果てたのだろう。
察するに、400年から500年前にはすでに切り倒されていた木にちがいない。
では、どうして表面の部分だけがこれほどの長い年月を生き延びられたのだかうか?
木の細胞は栄養として糖分を必要とする。
葉がなければ光合成もできない。
つまり、普通に考えれば、呼吸も生長もできるはずがない。
そのうえ、数百年間の飢餓に耐えられる生き物など存在しない。
木の切り株も同じはずだ。
少なくとも、孤立してしまった切り株は生き残ることができないだろう。
だが、私が見つけた切り株は孤立していなかった。
近くにある樹木から根を通じて手助けを得ていたのだ。
木の根と根が直接つながったり、根の先が菌糸に包まれ、その菌糸が栄養の交換を手伝ったりすることがある。
目の前の "岩" がどのケースにあたるのかはわからなかった。
とはいえ、無理やり掘り起こして確かめる気にはなれない。
古い切り株を傷つけたくないからだ。
まわりの木がその切り株に糖液を譲っていたことだけは確かだ。
だからこそ切り株は死なずにすんだ。
栄養の受け渡しをするために根がつながっている姿は、土手などで観察できる。
雨で土が流れて、地中にあった根がむきだしになっているのを見たことはないだろうか?
樹脂について研究した結果、根が同じ種類の木同士をつなぐ複雑なネットワークを発見した学者もいる。
近所同士の助け合いにも似たこの "栄養素の交換" は規則的に行なわれているようだ。
森林はアリの巣にも似た優れた組織なのである。
ここで一つの疑問が生じる。
木の根は地中をやみくもに広がり、仲間の根に偶然出会ったときにだけ結ぼれて、栄養の交換をしたり、コミュニティのようなものをつくったりするのだろうか?
もしそうなら、森のなかの助け合い精神は──それはそれで生態系にとって有益であることには変わりないのだが── "偶然の産物" ということになる。
しかし、自然はそれほど単純ではないと、たとえばトリノ大学のマッシモ・マッフェイが学術誌《マックスブランクフォルシュンク》(2997年3号、65ページ) で証明している。
それによると、樹木に限らず植物というものは、自分の根とほかの種類の植物の根、また同じ種類の植物であっても自分の根とほかの根をしっかりと区別しているらしい。
では、樹木はなぜ、そんなふうに社会をつくるのだろう?
どうして、自分と同じ種類だけでなく、ときにはライバルにも栄養を分け合うのだろう?
その理由は、人間杜会と同じく、協力することで生きやすくなることにある。
木が一本しかなければ森はできない。
森がなければ風や天候の変化から自分を守ることもできない。
バランスのとれた環境もつくれない。
逆に、たくさんの木が手を組んで生態系をつくりだせば、暑さや寒さに抵抗しやすくなり、たくさんの水を蓄え、空気を適度に湿らせることができる。
木にとってはとても棲みやすい環境ができ、長年生長を続けられるようになる。
だからこそ、コミュニティを死守しなければならない。
一本一本が自分のことばかり考えていたら、多くの木が大木になる前に朽ちていく。
死んでしまう木が増えれば、森の木々はまばらになり、強風が吹き込みやすくなる。
倒れる木も増える。
そうなると夏の日差しが直接差し込むので土壌も乾燥してしまう。
誰にとってもいいことはない。
森林社会にとっては、どの木も例外なく貴重な存在で、死んでもらっては困る。
だからこそ、病気で弱っている仲間に栄養を分け、その回復をサポートする。
数年後には立場が逆転し、かつては健康だった木がほかの木の手助けを必要としているかもしれない。
互いに助け合う大きなブナの木などを見ていると、私はゾウの群れを思い出す。
ゾウの群れも互いに助け合い、病気になったり弱ったりしたメンバーの面倒を見ることが知られている。
ゾウは、死んだ仲間を置き去りにすることさえためらうという。
木はその一本一本がコミュニティを構成するメンバーだが、それでもやはり、すべての木が同じ扱いを受けるわけではないようだ。
たとえば、切り株のほとんどは朽ち果て、数十年後 (ほとんどの樹木にとっては数十年は短期間にすぎない) には完全に土に還る。
先ほど紹介した "苔むした岩" のように、数百年も延命措置がなされるのはごくわずかといえるだろう。
では、どうしてそのような "差" が生じるのだろう?
樹木の世界も人間と同じく階級杜会なのだろうか?
基本的にはそのとおりなのだが、"階級" という言葉は当てはまらないだろう。
むしろ仲間意識が、さらにいえば愛情の強さの度合いが、仲間をどの程度までサポートするかを決める基準となっているように見える。
森に入って、葉の茂る天井、いわゆる "林冠"を見上げてみれば、誰にでもわかることがある。
通常、木は、隣にある同じ高さの木の枝先に触れるまでの範囲内でしか自分の枝を広げない。隣の木の空気や光の領域を侵さないためだ。
一見、林冠では取っ組み合いが行なわれているように見えるが、それはたくさんの枝が力強く伸びているからにすぎない。
仲のいい木同士は、自分の友だちの方向に必要以上に太い枝を伸ばそうとはしない。
迷惑をかけたくないのだろう。
だから "友だちでない木" の方向にしか太い枝を広げない。
そして、根がつながり合った仲良し同士は、ときには同時に死んでしまうほど親密な関係になることもある。
切り株を援助するといった強い友情は、天然の森林のなかでしか見ることができない。
私はブナのほかに、ナラ、モミ、トウヒ、ダグラスファー(ベイマツ) の切り株が仲間の助けで生き延びているのを見たことがある。
もしかすると、どの種類の木も同じことをするのかもしれない。
中央ヨーロッパの針葉樹林のほとんどは植林されたものだ。
そうした植林地では、樹木はまた違った行動をとることが知られている (「ストリートチルドレン」の章を参照)。
植林のときに根が傷つけられてしまうので、仲間とのネットワークを広げられないのだ。
たいていは一匹狼として生長し、つらい一生を過ごす。
とはいえ、そうした植林地の樹木は (種類によって差はあるが) 100年ほどで伐採されるので、どのみち老木にまで育つことはない。
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あなたはこれを読み,定めし感動したはずである。
内容について疑いをもつなどということは,思いも寄らなかったはずである。
実際,この本の表紙にはつぎの紹介文がある:
「 | ‥‥‥ 2015年に出版した本書はドイツで70万部を超えるベストセラーを記録。34カ国に翻訳された。
アメリカでもニューヨーク・タイムズ紙で絶賛され、ベストセラーとなった。‥‥‥ 」
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しかし,これは荒唐無稽話である:
(1) |
「まわりの木がその切り株に糖液を譲っていたことだけは確かだ。
だからこそ切り株は死なずにすんだ。」
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別々の根を以て成長した木が,互いに根を伸ばしてつながるなどということは,ない。
根がつながっているのは,それが「ひこばえ」だからである。
ブナの木は,伐採されると,切り株から何本も枝が出てくる。
それらが成長すると,数本の成木が接近して立っている様になる。
そしてそれらの根は,つながっている。
ひこばえは「萌芽更新」の現象であるが,萌芽更新は営林の方法になっている。
若枝は何本もまっすぐ上に伸び、成長が速いからである。
これを定期的に伐採することで,一定規格の木材を安定供給できる。
著者は営林署にいたことがあると言っているが,こんな初歩的なことも知らないでよく勤まっていたものである。
(2) |
「社会をつくる」
「自分と同じ種類だけでなく、ときにはライバルにも栄養を分け合う」
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木は,社会をつくらない。
生態系は,個が己が生きるニッチを得ている状態である。
互助の様ではない。
それぞれの利己がせめぎ合いで均衡 (共生) している様である。
(3) |
「仲のいい木同士は、自分の友だちの方向に必要以上に太い枝を伸ばそうとはしない。
迷惑をかけたくないのだろう。
だから "友だちでない木" の方向にしか太い枝を広げない。」
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「林冠」は,つぎの現象である:
- 上を取られた葉は無用になるので,そのような葉ははじめから形成されない
- 枝を広げるのはコストがかかることなので,競争は自ずと限度がある
(4) |
「中央ヨーロッパの針葉樹林のほとんどは植林されたものだ。‥‥‥ 植林のときに根が傷つけられてしまうので、仲間とのネットワークを広げられないのだ。
たいていは一匹狼として生長し、」
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針葉樹の場合──イチイのようなのを例外として──萌芽更新はない。
根のつながった針葉樹は,自然林にも無い。
もう何と返したらよいやら^^;
この話の荒唐無稽は,事物に対する人道・社会主義的解釈である。
ひとはこのタイプの荒唐無稽話には,疑いを持たずそして感動する。
それは,人道主義・社会主義を正義として教えられてきているからである。
ひとは正義に対しては無条件に理性を眠らせてしまうのである。
そしてひとは,話が荒唐無稽であるほど,騙される。
以前には,「水に良いことばをかけるとおいしくなる」「花に良いことばをかけると綺麗になる」なんてのもあった。
引用文献
Wohlleben, Peter (2015) :
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Das geheime Leben der Bäume : Was sie fühlen, wie sie kommunizieren ─ die Entdeckung einer verborgenen Welt.
Lutvig Verlag, 2015.
長谷川圭[訳]『樹木たちの知られざる生活──森林管理官が聴いた森の声』, 早川書房, 2017.
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