土壌の表層は,独特な層で,「腐植」と呼ばれる。
この内容は,生物遺骸 (特に植物遺骸) から始まる有機物変換である。
変換をするものは,土壌生物,特に無数の土壌微生物である。
「腐植」は,この内容を以て,土壌生産の工場に見立てられる。
「腐植」は土壌生産の工場なので,これを破壊することは,そのまま土壌破壊になる。
土壌破壊とは,土壌が無くなるということである。
土壌が無くなることは,その地がしばらく,あるいはずっと,不毛の地 (サバク) になることである。
なぜなら,腐植ができるのに要する時間は,ひじょうに長いからである。
現在サバクになっている地は,もし腐植が復活するときには,最低 1000年はかかる──と見込むことになる。
農業の耕起は,腐植の破壊である。
よって,耕起を方法とする農業は,サバク化を進めるものである。
これから 1000年は,サバクに土壌が戻ってくる時間というよりは,その前に人間が大地をほぼサバク化してしまう時間の方になりそうである。
これは,「不耕起栽培」が出てくる一つのコンテクストである。
しかし,不耕起栽培は,耕起栽培に換わり得るものではない。
農業は商品経済に取り込まれており,大量生産を強いられている。
不耕起栽培では,大量生産にまったく間に合わない。
そこで「不耕起栽培」の声に対して関心をもつ形は,「これはどんな思想を紡ぐか?」になる。
マイノリティにありがちの易い反体制イデオロギーに行ってしまいそうな構えになっているからである。
例えば,「健康」を持ち出すような:
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『生きている土壌』, pp.65-67
進化の発展の最高の段階にある人間が一番危険にさらされている。
というのは、莫大な量の介成された異物と毒物を摂取することで、人間にとって申し分のない価値があり、完全な生命力ある食物連鎖からますます遠ざかっているからである。‥‥‥
人間や家畜に、しばしば隠された形ではあるが、今まで見たことのないような病気、抵抗力のなさ、無力な状態が現れるだろう。
もしも人が折あるごとに、有機農業を営む農場を訪ねるなら、その農地、育っている植物、家畜、そして農家の家族の健康さに気づき、深い印象を受けることになるだろう。
それは疑いもなく生命力あるものが持つ癒す力である。
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「健康」は,「健康」イデオロギーである。
科学はこれに,<解体>という方法で応じなければならない。
「健康」イデオロギーの解体方法は?
生物生態の多様性を対置するのが,最もダイレクトなやり方になる。
「健康」を「農家の家族の健康さ」に定める者は,生物生態の多様性に考えが及んでいないわけである。
ひとにとって他の生物は,「なんで,こんなところで,こんな生き方を!」のように見てしまうものである。
深海や砂漠に棲む動物だと, 「極限環境に生きている」の見方になる。
しかし,食物を取るのに会社に出かけ,給料を受け取り,店で食品を買うみたいなのは,深海や砂漠に棲む動物から見れば十分「極限環境に生きている」である。
生物は,所与の中で生きるのである。
現代人が食する農作物は,耕起農業の作物になっている。
これはもう変えられるものではないから,所与である。
──現代は,商品経済が人の所与であり,そして商品になる農作物を実現する耕作法は,耕起であって不耕起ではない。
実際,現代人は土壌の意味を,既に<空気と水と無機肥料をいい按配に保存するもの>に取り替えてしまっているのである。
<空気と水と無機肥料をいい按配に保存するもの>は,プラスチックで実現できればそれで足りる。
この先
「<空気と水と無機肥料をいい按配に保存するもの>は,
プラスチックで実現する方が低コスト」
となった段には,ひとはよろこんでプラスチックに移行する。
実際,商品経済の農作は,「土壌栽培 → プラスチック栽培 → 水栽培」が進化の方向になる。
そして「健康」だが,生きる所与が個々に異なる集団に対し,「健康」の概念は立たない。
実際,ひとは「健康」をそれぞれの所与の中で考えているのである。
「健康」は所与の中で考えるもの──ということである。
プラスチック栽培世代の者は,プラスチック栽培作物を所与として「健康」をあれこれ気にする。
水栽培世代の者は,水栽培作物を所与として「健康」をあれこれ気にする。
各世代には,その世代特有の身体的特徴 (障害) が現れることになるが,これはその世代の所与であり,その世代はこの所与の中で相変わらず「健康」をあれこれ気にするのである。
「食物」も,ひとはこれを所与の中で考えているのである。
「食物」は,所与の中で考えるものである。
よって,「偏食でない」という状態は存在しない。
そして,個が所与と定めるものは個それぞれであるから,食餌はもとから偏食なのである。
生き物は個々に偏食をしている。
商品経済は,あらゆる分野でサバク化を進める。
ひとは,サバク化の進行を所与とし,この中で淘汰され進化する。
ひとはこの進化を,頭では嫌味に思うかも知れないが,生活者としてはこの進化を気に入っているのである。
- 引用文献
- Erhard Hennig : Geheimnisse der fruchtbaren Böden。
Organischer-Landbau Verlag Kurt Walter Lau, 1994.
中村英司[訳]『生きている土壌』, 日本有機農業研究会, 2009.
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