Up 歴史の抹消 作成: 2010-02-24
更新: 2010-02-24


    征服の歴史は,形として残りにくい。 なぜなら,征服者は前文化を焼き払ってしまうからである。 都を焼き払い,文物を焼き払う。
    そして,歴史は征服の歴史である。 したがって,歴史は形として残りにくい。

    ひとつの文化は,厖大な労働と長い時間を費やして築かれる。 征服者は,これを惜しげもなく焼き払う。
    なぜか?
    前文化は,「人民を惑わす」からである。 「人民を惑わす」ものは,焼き払わねばならない。 「焚書坑儒」は,どの時代にもある。

    大学のホームページは,残りにくい。 なぜなら,新体制の執行部・管理事務職に納まった者は,前体制のホームページを削除してしまうからである。
    なぜ,削除するのか?
    前ホームページは,「人民を惑わす」からである。


    歴史の抹消をもったいと思い,「文化遺産として残しておけばよかったのに」と思うのは,後世の者である。
    征服者にとって,前文化は文化遺産ではない。 ただ「人民を惑わす」ものであり,焼き払わねばならないものである。
    征服者は,丹念に,前文化の生き残りを捜し,見つけ次第焼き払う。

    征服者にとっての問題は,自分の征服が安定して続くことである。 彼らにとって,<いま>が絶対である。 「歴史」の視点からの<いま>の相対化は,彼らの発想するものではない。


    前体制のホームページを削除する者は,よいことをしているつもりでいる。 「人民を惑わす」ものの削除であるからだ。
    そして彼らは,「人民を惑わす」ものの削除の手を広げる。 すなわち,大学のネットワークの中に前文化の生き残りがないか?と捜し出す。
    捜し出す手法は,ネット検索である。 前文化を検索し,生き残りを見つけたら,「どうしたらこれを削除できるか?」と思いをめぐらす。

    この時点で,彼らは「言論統制」のモードに入っている。
    しかし,「人民を惑わす」ものの削除からの緩やかな延長でやっているので,「言論統制」の意識がない。
    それに,「言論統制」の意味をもともとよくわかっていない,ということもある。

    ひとは「言論統制」の意味をわかっているつもりでいる。 これは,錯覚である。 「言論統制」の意味をわかることは,たいへんなことである。
    実際,大学人なら,「『言論統制』の標題で学術書をすぐに一冊書ける」を「わかっている」の基準 (criteria) と考えるくらいが,よいだろう。