Up | 「ネットワーク支配」とは何か? | 作成: 2008-02-20 更新: 2008-02-20 |
そのだれかを,「支配者」と呼ぶ。 デモクラシーの存在しない体制では,組織がうまく保たれるか酷くなるかが,支配者の資質頼みになる。 古代中国の正史の方法論 (「易姓革命」) では,よい支配者を「君主」,その資質を「徳」と謂う。 デモクラシー/自由主義は,「独善」を科学することにより,「君主の徳」の概念を退け,「支配者」を認めない。 国立大学でのネットワーク開始時・幼年期には,「情報」のことに比較的詳しい・関心の強い教員が,ネットワーク管理を担当した。 この時期は,「ネットワークとは何ものか?」「ネットワークで何ができるか?」の問題意識がネットワーク運用を導く。 ネットワークの試行錯誤的活用が奨励される。 世の中はまだ,コンピュータを使わないと思えば使わないで済む時代である。 よって,「支配」は問題にならない。 その後,ネットワークの使用が一般的になり,ネットワークが仕事のインフラになる。ネットワークは「管理」されるものになる。 そして,「管理が支配に転じる」が,問題になってくる。 実際,この期のネットワーク管理は,ネットワーク管理者兼務教員の「徳」を頼みにするものになっている。 そしてこれは,既に「ネットワーク管理者のネットワーク支配」である。 「ネットワーク管理者兼務教員のネットワーク支配」の状況は,「大学執行部のネットワーク支配」へほんの一歩という危うい状況である。 例えばつぎのことで,この「一歩」はすぐに実現する: そこで,つぎの問題意識となる:
「デモクラシー」をつくらねばならない。 この時期に「デモクラシー」をつくらねば,手遅れになる。 ここで誤解してならないのは,「デモクラシー」は<規則>ではないということだ。
デモクラシーは<カラダ>である。
教育は,<カラダ>づくりとして社会成員をつくる。 <規則>で「社会成員」を定めることが社会成員をつくる方法になるか?──ならない。 この<カラダ>はどのようにしてつくる? ひとりひとりが努めてつぎのことを実践すること: 地味だが,これ以外にない。
これがわからない者/これにがまんできない者が,「改革」(規則づくり・制度替え) に走る。 |