Up 「引用」「転載」の区別の無意味 作成: 2008-01-26
更新: 2008-01-26


    つぎは,記事の引用・転載についての新聞協会の見解である:

    大学などで,「研究や教育を目的としているから」という理由で,情報を無断で利用するケースも散見されますが,やはり著作権法に触れます。 引用して利用する場合には,いろいろな条件を守る必要があります
     著作権法第32条は「公表された著作物は,引用して利用することができる」としています。この規定に基づく引用は広く行われていますが,中には,記事をまるごと転載したあと,「○年○月○日の□□新聞朝刊社会面から引用」などとして,これに対する自分の意見を付けているケースも見受けられます。また,記事全文を使えば「転載」(複製)だが一部だけなら「引用」だ,と考えている人も多いように思われます。
     しかし,著作権法第32条は,「この場合において,その引用は,公正な慣行に合致するものであり,かつ,報道,批評,研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われるものでなければならない」という枠をはめています。
     この規定に当てはめると,引用には,報道,批評,研究その他の目的に照らして,対象となった著作物を引用する必然性があり,引用の範囲にも合理性や必然性があることが必要で,必要最低限の範囲を超えて引用することは認められません。また,通常は質的にも量的にも,引用先が「主」,引用部分が「従」という主従の関係にあるという条件を満たしていなければいけないとされています。つまり,まず自らの創作性をもった著作物があることが前提条件であり,そこに補強材料として原典を引用してきている,という質的な問題の主従関係と,分量としても引用部分の方が地の文より少ないという関係にないといけません。
    「ネットワーク上の著作権に関する新聞協会見解」について
    (http://www.pressnet.or.jp/info/kenk19971100b.htm)

    しかし,「公正な慣行」「引用部分の方が地の文より少ないという関係にないといけません」の言い回しにおいては,「メディアの時代的制約」の論点の考慮が抜けている。
    また,「目的上正当な範囲内」「必要最低限の範囲」も,意味のないことばである。


    紙メディアでは,引用は量が慎ましくなる。
    なぜか?
    スペース・イコール・コストだからである。
    空白 (空白行を含む) をつくることは,極力抑えられる。


    引用の量をけちることは,受け手の側の誤解の余地を大きくすることである。
    「公正な慣行」「引用部分の方が地の文より少ないという関係」が奨励されるべき理由はない。
    そして,「最もおそれるべきは誤解である」の立場からは,「目的上正当な範囲内」「必要最低限の範囲」とは,十分な量のことである。
    新聞の報道記事ならば,全文引用──すなわち転載──が「目的上正当な範囲内」「必要最低限の範囲」になる。

    引用される側にしても,誤解を招くような少しの量の引用よりは,十分な量の引用がなされることを欲する。


    では,新聞協会の引用についての見解が上のようになったのはどうしてなのか?
    とりあえず「使うな」にしておいて,相談があれば応ずるというようにする──これが上策,と考えたからである。

    これは上策か?
    「無断使用はダメ」は,効果においては「使用不可」と同じになる。
    なぜなら,「無断使用しない」は単にことばであって,この形づくりはひどく複雑・面倒なものになる。 複雑・面倒なので敬遠される。 (コスト・ベネフィット比の問題!)
    こうして,「使われると損」に一律化するのは,「使ってもらうと得」を失くすことになる。