Up 「犯罪との消極的共存」の思想へ 作成: 2008-01-12
更新: 2008-01-12


    犯罪が存在するのは,定めし存在する理由があるからだろう。
    ──すなわち,犯罪の存在否定は,人の社会が拠って立つある複雑系の否定になるのだろう。

    ネットワーク管理では,ネットワーク犯罪は否定的な存在として扱われる。
    しかし,ともかく存在しそして無くなるとは考えられない以上,その存在は認めねばならない。

    実際,ネットワークの文化には,文化一般と同じく,「犯罪がせっせと文化にインテリジェンスを与え,文化を育ててきた」面がある。


    あるインテリジェンスは,それによって自分の存在を危うくされる/自分の生活を不具合にされる者にとっては,犯罪である。
    ただそれだけのことである。
    インテリジェンスの本質的なところでは,犯罪性はわからなくなる

    1. スパムメールをやるために「虫使い」をやれば,犯罪になる。マイクロソフトがユーザ同報のために行う「虫使い」は,犯罪にならない。

    2. インターネットという出来事自体,ある見方に立てば「犯罪」になる。

    3. NTTドコモが「ケータイにはデータを置かないで,サーバーにデータを置いて一元管理する」技術の開発に入ることが報道されている (2008年初頭)。 「紛失により情報流出する」「破損により情報を失う」危険の回避を理由とする。
      紛失による情報流出の回避は,個人情報保護主義を満足させる。 一方,「第三者に個人情報をリレー」という点では,個人情報保護主義の矛盾になる。
      この矛盾が問題になってこない理由はただ一つ,NTTドコモが「大企業=信用できる企業」であるということ。