Up | スタートラインとしての「定型」 | 作成: 2007-09-12 更新: 2007-09-12 |
子は,自分のウェブサイトを設ける。 こうすることで,教員/学生のウェブサイトがどのように実現されているかが問題でなくなる。 特に,教員/学生サイトをモジュールとして扱えることになる。 教員/学生のウェブサイトがどのように実現されているかについては,技術難度/表現自由度の観点からつぎの段階的区分ができる:
ところが,これを「ゴール」のようにとらえる間違えがある。 まったくの逆をやっているのだが,この間違いはどうも特別なものとは言えないようだ──すなわち,ありふれたもののようだ。 したがって,この問題をここで簡単に取り上げておくことにする。 とりあえず日本人としておくが,日本人には「定型/ユニフォーム」をゴールとする傾向性がある。 (これは,そうではない代表のアメリカ人と比較すると,よくわかる。) 多様を目にすると,これを無秩序と感じ,矯正しなければならないと感じる。 北海道教育大学で進められている「シラバスに統一フォームを強制」(「シラバス検閲」) は,この例である。 分析すればいろいろな要素・構造が見出されるが,「定型/ユニフォームをよしとする」感性が強く作用していることは間違いない。 なお,段階1(「定型」) は,つぎの意味で「スタートライン」である: |