本日 (2007-11-16),『保有個人情報漏えい等の防止について (通知)』(副学長) が教員に通知された。
これは,今月7日の北海道新聞の記事で公にされたつぎの「個人情報漏洩」に対応したものである:
札幌校の附属中で2001年度に2年生だった者の「名前,中間・期末テストの点数」が,ネットに流出
通知文書は,
「二度とこのような極めて重大かつ深刻な事件が発生しないよう
各部局で個人情報管理体制を強化」
の言い回しで,「事件」を深刻に受け止めている姿勢を表現している。
大学の<処世>としては,確かにこうなる。
一方,大学の教員には,科学を本務にする者としてこの「事件」を科学し,<処世>とバランスを保つ役割がある。
結論から言うと,この種のことばの前に思考停止する風潮を許さない言説を,つくらねばならない。
逆に,この種のことばの前に思考停止する風潮を促成しているのが,マスコミである。
( 個人情報保護主義)
「個人情報保護」は,目下「正義」である。
この「正義」の意味は,「個人情報保護」のことばの前には,思考停止が求められということである。
1991年に2年生だった者の「名前,中間・期末テストの点数」や1981年度卒業生の写真が第三者の目にふれたときも,事の内容についてはいっさい思考停止して,「二度とこのような極めて重大かつ深刻な事件が発生しないよう」と言わされるということだ。
「正義」は,だいたいが,全体主義の集団ヒステリーと重なる。
そして,マスコミがこの音頭をとる。
(実際,全体主義を展開できるメディアは,マスコミの他にはない。)
一般に,全体主義の集団ヒステリーとなっている「正義」を批判する思想は,文学的な装いを纏う場合には,サブカルチャーとかアンダーグラウンドに向かう。その言説は「アヤシイ」言説になる。
大学が発すべき言説は,これではなくて,科学的な言説である。
「正義」は,二値論理である。
正しくなければ<悪>であり,謝罪しなければならない。
正しいと正しくないの間に,中間を夾まないのだ。
「正義」の集団ヒステリー者の物言いはこうである:
世の中は,「正しくなければ<悪>」のように進んでいる。
この時代の流れに,まだ鈍感な者がいる。
彼らは認識を改めねばならない。
しかし,この魔女狩りはやがて厭きられる。
そして止む。
時間が経ち,魔女狩りのあったことが忘却され,また魔女狩りがあったことを知らない世代が現れる。
そしてまた,「いま自分はひじょうに重要/画期的なことをやっているのだ」の思いで,魔女狩りが始められる。
歴史には技術の進歩はあっても,人間のやることは本質的に何も変わっていない。
──つぎのことの繰り返しだ:
- ひじょうに重要/画期的と思って事を始める
- 厭きる/続かない
- やめる/やめさせられる
- 忘却
- 同じ事をまた始める
ここで,「二度とこのような極めて重大かつ深刻な事件が発生しないよう各部局で個人情報管理体制を強化」の文言を,考えてみる。
- 「極めて重大かつ深刻な事件」
──たいした事件ではない。
「たいした事件ではない」という良識を救わねばならない。
そしてこのことは,つぎの集団ヒステリーと対決するということである:
世の中は,「正しくなければ<悪>」のように進んでいる。
この時代の流れに,まだ鈍感な者がいる。
彼らは認識を改めねばならない。
- 「二度と発生しないよう」
──仕事をすれば発生は防げない。
発生させたくなければ仕事をしない,ということだ。
内容的にずれるが,「仕事をすれば発生は防げない,発生させたくなければ仕事をしない」の例:
- 大阪教育大附属池田小児童殺傷事件 (2001-06-08) の再発を防ぐ方法はない。
校長はみな観念している。
- 車の業務上運転と人身事故
仕事は「個人情報」を扱う。
そして,自分が扱える形にしている「個人情報」は,第三者も扱える。
「個人情報漏洩事件」は簡単に作為できる。
いまの社会風潮は,どうしようもなく愚かなことに,何でもかんでも「個人情報保護」の対象にしてしまい,「個人情報漏洩」は作為される方に落ち度があるとして,これをやっつける。
これは,自分で自分の首を絞める行為である。
(一方,犯罪者は「人権」で守られる。)
- 「各部局で個人情報管理体制を強化」
──都合的に問題を拡張している。
ここで言うべきは,つぎのことだけである:
「今回の「個人情報ネット流出」の原因として,Winny が疑われています。
(本当のところは,わかっていません。)
既に常識になっていることですが,ウィルス感染やファイルのネット流出の可能性を考えて,Winny をインストールした PC では業務上のファイルを扱うべきではありません。」
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