Up 「管理/セキュリティ」パラダイムの未熟 作成: 2007-09-18
更新: 2007-09-18


    情報システム管理担当者が「事件が発生したら即懲罰」を条件付けられたら,彼らは事件が絶対起こらないシステム運用を行う。 それは,情報システムを使えなくすることである。

      情報システムの管理事務の都合とユーザの都合は,異なる。
      事務は,事件が発生して責任問題が自分にくるのを嫌う。 そこで,情報コンセントに鍵をかけたり,IPの発行を申請制度にしたりする。
      一方,ユーザは,情報コンセントを自由に使いたい。 そしてこれができるためには,IP が DHCP で自動発行されるようになっていなければならない。

    情報システムが使えるようになっているとは,事件も当然起こるようになっているということである。
    情報システムを使えるようにしようと思うなら,情報システム管理担当者は事件に対しては免責としなければならない。


    現在は,事件発生を情報システム管理担当者の責任問題にする雰囲気ができ上がっている。 これは,一種の集団心理/集団ヒステリー (行政から各機関末端までの全体を含む集団の,集団心理/集団ヒステリー) である。

    どうしてこうなるかというと,「情報化」の歴史がまだ浅いからである。
    ひとは,「情報システム管理」をどう扱ってよいかまだわかっていない状態にある。 情報システム管理のパラダイムが定まっていないのである。


    情報システム管理のパラダイムが定まるためには,たくさん修行を積まねばならない。 いまは未熟なので,とりあえず「無菌」を情報システム管理のパラダイムにしている。

      「無菌」は,ひとが選ぶパラダイムとしては,もっとも幼稚なものである。
      菌は世界の要素である。 そして,自分は世界内存在である。 世界を否定しては自分の存在は立てられない。 よって,菌との共生を否定しては自分の存在は立てられない。


    修行が積まれ,世界が見えてくることにより,「無菌」パラダイムは「健康」パラダイムにシフトしていく。 (「無菌」から「健康」へのパラダイムシフト)

    「無菌」パラダイムでは,菌の侵入を許した管理者はそのことで罪になる (謝罪しなければならない)。 よって,管理者は「無菌」を絶対にする。
    「健康」パラダイムでは,菌との共生にバランスをとることが管理の意味になる。 管理者は,菌の侵入をもって罪になることはない。

      殺人犯が凶器の刃物を購入した刃物店は,罪にはならない。
      しかし,それが例えば小学生だったときは,責任が問われることになる。


    要点 : 「無菌」パラダイムを絶対のものとしてはならない。 このパラダイムは,組織 (の思想) の未熟を表しているに過ぎない。
    「無菌」パラダイムは,事件を起こさないために情報システムを使えなくする。 これは,本末転倒である。