Up 「生活」の思想へ 作成: 2008-01-16
更新: 2008-01-16


    生活は,便利とリスクのトレードオフであり, そしてパフォーマンスとコストのトレードオフである。
    安全は欲しいが,コストがかかる。 ほどほどの安全で手を打って,後はリスクが来ないことを願う (運を天にまかせる)。

    しかし,リスクをいつも考えていると,リスクに対しだんだん神経質になり,リスク回避 (安全) を最優先事項とするようになる。 そして,生活を自ら不自由にしていく。


    ネットワーク・セキュリティの方法は,「使用形態の限定」である。
    「使用形態の限定」は,ネットワークの自由な・創造的な使用をできなくするということである。

    大学は,自由・創造本位でやってきた。
    自由・創造は,事故に対する隙が多い。
    このことに対し,「事故は自由・創造のコスト」と達観してきた。

    しかし,この達観の文化が,大学からいま急速に失われている/既に消えてしまった。
    「時代の流れ」を言い訳にする一方で「グローバル・スタンダード」で合理化を図る,コセコセした事なかれ主義の場になった(註)

    ネットワークのセキュリティ対策「使用形態の限定」は,この風潮と重なる。


    「ネットワーク・セキュリティ」は,何よりも先ず「哲学」の問題である。
    ──それからずっと下って,技術の問題である。

    大学は,インターネット黎明期の「自由・創造の気風」の記憶を持っている。 この記憶をいま改めて呼び起こす必要がある。




     註 : 一般に,事なかれ主義に対しては,これがつぎに「組織内部的にも性悪説の適用をする」へ発展することを警戒しなければならない。
    性善説-対-性悪説は,自由-対-統制のことである。
    ここは性悪説でやるしかない」を簡単に言う風潮があるが,これは簡単に言わせてよいことばではない。