Up 本論考の方法:自由の哲学 作成: 2008-12-22
更新: 2008-12-22


    組織のネットワークにも個性がある──大衆的・学術的,商業主義的,政治的,真面目・不真面目,奔放,自由,管理強圧的等々。
    その個性は,一つに,組織のタイプによって決まる。また,同じタイプの組織でも,ネットワークの管理者とエンドユーザとの<攻防>によって決まる。

    ここで,国立大学のネットワークを考える。
    国立大学のネットワークの個性を主題にするとき,「自由」がキーワードになる。
    国立大学は「自由」を組織の方法論にしているので,ネットワークの方法論にも自ずと「自由」が要素のうちに入ってくる。
    そして,ネットワークの管理者とエンドユーザとの<攻防>は,この「自由」をめぐる攻防のことになる。 <攻防>の均衡相の色々が,「自由」の相の色々になる。


    エンドユーザは,ネットワークが自分にとって不自由であることを嫌う。
    管理者は,ネットワークが自分の手に負えない混乱状態になることを嫌う。 エンドユーザがネットワークを自由にすることは,この混乱状態になることである。 よって,管理者は,エンドユーザに自由を与えることを嫌う。

    ネットワーク黎明期では,管理者とエンドユーザがほぼ重なる。 したがって,<攻防>の問題は生じない。
    ネットワークの生活インフラ化の進行で,管理者とエンドユーザが分かれていく。 管理者とエンドユーザの関係は,敵対的なものになる。

    <攻防>は,単発的に起こる。 すなわち,ネットワークのシステムや運用規則が変更されるとき,あるいは一人のエンドユーザがこれまでなかった形のネットワーク使用を始めようとしたときに,起こる。

    単発的<攻防>では,管理者が優位になる。
    そして,管理者勝ち続け・エンドユーザ負け続けが,権利者の優位をますます固めていく。
    「管理者優位」が当然視される組織風土ができあがる。


    <管理>は,<自由>を対置することでバランスをとらねばならない。
    しかし,何が「<自由>を対置」になるのか?
    単発的<攻防>は,「<自由>を対置」の形にはならない。 ──実際,単発的<攻防>は,<自由>の側の負けっ放しになる。

    「<自由>を対置」の形は,自由論を内容とするネットワーク哲学である。
    ネットワーク黎明期は,ネットワーク哲学黎明期であった。 しかし,ネットワークの生活インフラ化は,哲学喪失とイコールになる。
    実際,いまの時代は,「管理」「セキュリティ・ポリシー」があって,哲学が無い

    こうして,つぎが「コンピュータの人支配」を主題化する本論考の方法論になる:
      「ネットワーク哲学を<自由の哲学>として立てること」