Up | 「ネットワーク」の意義は国立大学と営利企業では異なる | 作成: 2008-02-17 更新: 2008-02-17 |
──「改革」バブルの時代には,本業をうっちゃって「財テク」に走る企業が続出する。 国立大学の「法人化」は,このようなものの一つである。
しかし,時間が経つと,「本業に徹すべし」は埃をかぶり,失敗が忘却される。 「本業に徹すべし」が埃の下から現れても,これの意味がわからない。「なんとまあ古臭いことだ!」「昔の愚かな人間にくらべて,いま改革を考えるわたしは何と賢いことか!」タイプの者ばかりになっている。 そして,また「改革」のバブルが繰り返される。 国立大学のいまの問題は,「自分の本業・本分を考える」ができないことである。 自分の本業・本分を考えられないので,「改革」のバブルの中に立たされると簡単に「改革」に嵌る。 国立大学が「改革」のバブルの中に立たされるのは「法人化」が最初であり,したがってそれ以前は本業・本分を保てた。 ──意識的に保ったのではなく,ただ保てたのである。 よって,国立大学は,自分の本業・本分を考えることをいまから始めねばならない。 ──特に,国立大学と営利企業との違いを理解できるようにならねばならない。
したがって,「国立大学法人」は論理矛楯である。 <論理>は学術研究を生業とする者にとって十八番のはずであるが,「改革」のバブルは論理的思考をもののみごとにゼロにする。 「コンピュータに人が支配される構造」の主題では,国立大学と営利企業との違いを「ネットワークの意味」で考えることになる。 つぎの新聞記事は,このことを理解するためのよい導入になる:
営利本位を立場とするところの企業では,このようになる。 一方,大学は,教育・研究本位を立場とし,そのために自由本位を立場とする。 自由本位は,営利本位では立てられない。 そこで,「大学」は非営利で考えることになる。 「ネットワークの意味」を決めているのは,組織がとっている「本分」である。 「ネットワークの意味」とは,組織のプライオリティの問題に他ならない。 そこで,「ネットワークの使用形態」を問うことは,「ネットワークの意味」を問うことであり,そしてこれは「組織の本分」を問うことなのである。 |