Up 「姑息」に流れることへの警戒 作成: 2007-09-20
更新: 2007-09-20


    「個人情報保護」の問題は,内容的に (すなわち,ケース・バイ・ケースで) 扱うことが必要である。 しかし,いまの風潮は「ゼロかイチか」である。

    自ら「ゼロかイチか」にして,「個人情報」の扱いにビクビクする。及び腰になる。 そして,「全部保管庫に入れて鍵をかける」みたいな,おかしな方向に進む。
    あるいは,「扱いにくい形にする」という,本質的でないやり方 (「姑息」) に流れる。


    「姑息」とは,ウェブページでのレコード表示を例にすると,つぎのようなのを謂う:

    • 100個のレコードを表示する場合,1頁に全部を表示するとすぐにコピーされるので,1頁につき10個だけ表示する。(コピーに手間がかかることを見せて,コピーを諦めさせる。)
    • 技術的に,コピー (テクストの取り出し) を困難にする。

    これを,「合理的」と言わず,なぜ「姑息」と言うか?
    本来の目的である利便性をわざわざ壊す,という本末転倒をやっているからだ。 ──実際,ユーザ全体が不便を被る一方で,コピーしようとする者はどうあろうとコピーする。


    世の中のことを見渡せば,「ゼロかイチか」の方が普通でないことがわかる。
    ゼロかイチか」でやると,全体が不便を被る。
    そこで,「<けしからん>は確率的に必ずある」から出発する。
    そして,「<けしからん>を無くす」ではなく,「<けしからん>が現れるその都度,それを叩く」を方法にする。
    ──「<けしからん>は無くならないが,個別的に叩くことがこれを抑えるやり方になる」というスタンスである。

    情報システム管理の主題になる「個人情報保護」にしても,これを方法にするしかない。