Up 「個の多様性」の哲学 作成: 2008-02-21
更新: 2008-02-21


    ネットワークの運用・管理で扱いが難しいのが,「人さまざま」である。
    ──「人さまざま」には,運用者・管理者も含まれる。

    ひとは「人さまざま」を受容するのを苦手とする。
    自分にとって大事でないことで「人さまざま」に寛容になれるのは,アタリマエ。 問題は,自分にとって大事なことで「人さまざま」に寛容になれるかどうか。

    「人さまざま」を受容できているとは,どのような形にせよ,「個の多様性」の哲学がもたれているということである。
    科学の多くは「個の多様性」の問題に出会う。 この意味の探求に進み,意味の奥深さに驚かされることになる。 そして,世界を考えるときは「個の多様性」から始めるようになる。


    「個の多様性」がネットワークの運用・管理でどのように扱われるかは,組織によって違ってくる。 そして,国立大学は,最大限「個の多様性」を貫く組織である。 なぜなら,国立大学は,「個の多様性」の解発 (release) が仕事であるからだ。

    わかりやすく極端に言えば,「ネットワークの運用・管理者の方針に従わない者が,この従わないことによって成功する」も考えに入れましょう,が国立大学の流儀。

    ただし,子どものいやいやと同じにしないために,それぞれが自分の「個性」を哲学で示すことが ルール (不文律) になっている。 これが,「批判」である。


    よって,国立大学では,「自分はコンピュータを使わない」という選択も受容される。 (いまの時代なら,この選択は定めし尊敬を集めるだろう。)
    ただし,「自分はコンピュータを使わない」の論をつくって示すことは,けっこうたいへんである。 よって,コンピュータ使用をよしとしない者も,妥協してコンピュータを使うようになるのが普通である。

     註 : 本当は,運用・管理の方針を示す者も,このときの自分の哲学をあわせて示す責を負う。しかし,現実は,「優勢であれば,哲学を示さないで済む」になっており,そしてこれは「哲学がないのに,優勢というだけで,方針を示す役を務める」へ進行する。
    この慣習 (組織風土) は,改めねていかねばならない。