Up インターネットの理念の想起 作成: 2007-09-18
更新: 2008-02-21


    ひとは,インターネットに一つの思想・理念の実現を見ようとしていた。 すなわち,自由・進歩・貢献・共有・互恵・ユーザ本位の実現である。
    サーバには,共有・互恵・ユーザ本位の機能が盛り込まれた。

    その後,インターネットは,経済インフラ,そして生活インフラへと「成長」した。
    そうなると,自由・進歩・貢献・共有・互恵・ユーザ本位は保てない。 (実際,これは現実社会ではいいカモにされてしまう。) そこで,これをやめる。
    サーバに盛り込んできた共有・互恵・ユーザ本位の機能は,すべて封印される。
    ( インターネットの理念の終焉)


    「常識」は,状況/時代によって変わる。
    共有・互恵・ユーザ本位の機能の封印,セキュリティは,いまの時代の常識。
    この常識が所与となる世代 (すなわち,後からきた世代) は,ネットワークの自由・進歩・貢献・共有・互恵・ユーザ本位の思想・理念を知らない。
    これは,「意味を知らずに物を使う」相である。
    そしてここから,さまざまな本末転倒に進む。


    国立大学のネットワークは,自由・進歩・貢献・共有・互恵・ユーザ本位の路線 (すなわち,インターネットの理念) を保つ。 理由は:
    1. これが,国立大学のネットワークが機能する形である。
    2. この路線の保守が,国立大学の使命である。

    B について:
      国立大学の「国立」の意味は「非営利」であり,「非営利」の意味はこの種の価値 (本質的な価値であるがしかし商業主義にまかせると滅ぼされてしまう価値) を担うということ。
      一般に,国立大学は時流に棹ささない。 時流のもっと下 (本質/構造/論理) をとらえる立場のものであるからだ。