Up 「セキュリティ・ポリシー」の危険性 作成: 2008-02-20
更新: 2008-02-23


    いまは,セキュリティ主義で「セキュリティ・ポリシー」がつくられ・進められようとする状況にある。
    これは,「ネットワーク支配」がいつでも起ころうする危険な状況である。

    セキュリティを言い出せば,何でもありになる。
    「安全第一」であるからだ。

    実際,セキュリティを理由にしたネットワーク使用の自由制約に際し,異論を述べようとする者は,まずほとんどいない。
    一般ユーザなら,セキュリティを言われると,「定めし事情があるのだろう」「自分独りが勝手を言うことはできない」になってしまう。


    セキュリティを理由にした自由制約に対する異論は,つぎの形になる:
      セキュリティより自由が大事
      セキュリティを理由にした自由制約は,本末転倒
    そして,つぎの思考法を用いる:
      「安全」を程度問題・確率の問題としてとらえ・考え,そして
      「自由」とのトレードオフを考える。

    この異論を立てることは,ひじょうに面倒であり,成功させることも簡単でない。 つまり,異論を立てるのはコスト (労力と時間) がかかる。
    異論の構想をもてる者も,このコストがひどいのを見て,無抵抗を選ぶ。

    一般に,自由の保守は,ひたすら面倒に耐えるということである。
    降りかかってくる火の粉に逐一リアクションすること。
    このリアクションを面倒がって,一つに妥協すると,後はずっと妥協をつづけねばならなくなる。 ──<しがらみ>の醸成。


    セキュリティを理由にした自由制約に対して異論をつくるのはたいへんだが,セキュリティを言う側は簡単に自由制約を言う。
    実際,セキュリティのための自由制約を伝える事務連絡は,ありふれている。

    なぜ,セキュリティを言う方は簡単か?
    異論に出会わないからである。
    出会うことがないので,異論があり得るということに想いが至らない。
    そして,最大正義を述べているつもりで,セキュリティを言う。