Up | 要旨──論理的思考の不自由 | 作成: 2008-06-26 更新: 2008-06-26 |
学生に論理的な作業を課すと,このことがよくわかる。 ヘンテコな「Aならば B」を簡単にやってしまう。 A, B がおかれている論理的体系がわかっていないので,推論ミスをやってしまうわけだ。 「A, B がおかれている論理的体系を自分はよくわかっていない」という自覚があれば,推論に慎重になる。 しかし,ひとはいまの自分をいつも最高のものと思っている。 小学生も,いまの自分を最高のものと思っている。 《いまの自分の判断はつねにただしい》 成長して後を振り返るときに,《いまの自分の判断はつねにただしい》の間違っていたことがわかる。 「自分はなんてバカだったんだ」になるわけだ。 しかし,同時に,「自分はなんてバカだったんだ」と思ういまの自分については,これを最高のものにする。 ──《いまの自分の判断はつねにただしい》 この度北海道教育大学では,「学長の強力なリーダシップ」により,「学生のパソコン必携化」の施策が出された:
ここには,つぎの推理 (inference) が示されている:
ならば 「学生にパソコンを必携化」 「情報化社会」「現代社会の様々な課題」「学生のパソコン必携化」が論考される論理的体系というものに無自覚であったり,よく知らない者の目には,この推理はもっともなものに見える。 この論理的体系に自覚的であったり,若干の見識をもつ者の目には,この推理のメチャクチャであることが見える。 いい加減な推理で出された施策が実行されるとき,その結果は<莫大な被害・損害>である。 ──国や地方自治体は,思いつき施策・思惑施策をやっては被害・損害をつくり出す。これを事例とせよ。 思いつき施策は,抵抗を受けない。 施策を進めるトップの面子を潰すことに,みなが遠慮するからだ。 こうして,トップの面子を潰さないために,組織全体が莫大な被害・損害の道を自ら進む。 「学生のパソコン必携化」も,この道を既に進み出した。 実際,「学生のパソコン必携化」施策がパソコン必携化対策検討WGからアナウンスされたとき,それは既定事実としてアナウンスされたのである。 |