Up | 「授業で使用」は,理由にならない | 作成: 2008-07-02 更新: 2008-07-02 |
さて,このロジックは,正しいか? 場合1 「授業で使用」の最もあり得る形は,つぎのものである:
それをメールに添付して,わたしまで送信すること。」 このとき教員はつぎのことを考える:
「図の使用を課してもだいじょうぶだろうか?」 「画像作成は,ドロー系を課してもだいじょうぶか? (ペイント系でがまんするしかないか?)」 この教員は,「情報機器の操作」の授業をあてにしている。 その「情報機器の操作」の授業は,(コンピュータ室のコンピュータではなく) 学生に強制的に購入させたパソコンの上で,「情報機器の操作」を一斉授業するというものである。 つまり,
学生のコンピュータの上で行う「情報機器の操作」の一斉授業は,素人目には何も問題がないように見える。 (「パソコン室のコンピュータであろうと,学生のコンピュータであろうと,コンピュータはコンピュータだ。」) しかし,実際にやってみるとわかるが,これはたいへんなことになる。 たいへんになるから,「コンピュータ室」の形でやってきたのである。(「コンピュータ室」の代替にはならない) 場合2 つぎに,「授業でコンピュータを本格的に使用」の場合を考えてみる。 これまでは,教員がこの目的で個人的に「コンピュータ室」をつくり,運用してきた。 このコンピュータ室のコンピュータが「学生のコンピュータ」に代えられるかというと,これは不可能である。 実際,「学生のコンピュータ」の場合,コンピュータのチューニングの問題とあわせて,アプリケーションソフトの問題が起こる。 アプリケーションソフトを学生に負担させるわけにはいかないとしたら,サーバ&クライアントのシステム構築をしなければならない。 また,年度が変わる度に,同じ学生対応をしなければならない。 これらと「コンピュータ室」経営とどっちがコスト (含 : 労力・時間) 的に割に合うかというと,「コンピュータ室」経営の方ということになる。 |