Up DX (digital transformation) 作成: 2024-10-15
更新: 2024-10-15


    企業は「デジタル」のことばに煽られ続けてきた。
    そしていまは,「DX」のことばに煽られている。
    しかもこれは正体不明なので,煽られ方も難しいときてる。

    煽っているのは,企業に「デジタル」を売ってビジネスする企業である。
    その「デジタル」の内容は,デジタル技術の進歩に応じて,つぎのように変わってきた:
    1. digitizaton (物のデジタル化)
    2. digitalization (生産のデジタル化)
    3. digital transformation (体制のデジタル化)

    内容が「総合的」の方向へ進んでいるわけである。
    そしてこれは,内容が「抽象的」になるということである。


    この商売の「DX」ステージの脅し文句は,「デジタルディスラプション (digital disruption)」。
    デジタルディスラプションが状況なのだから,企業は DX に応じる他ない──さもないと企業は潰れる」というわけ。

    実際,テクノロジーの進化は,企業の淘汰になってきた。
    淘汰の原理は:
      「持てる者は,旧態化する物を抱え,そして捨てられない。
       持てる者は,持っている物と心中する。」

    しかし,流行りに軽々に乗る企業は,もっと危うい。
    「フットワークが軽い」とおだてられて,失敗する。


    「DX」「デジタルディスラプション」は,怪しいことばである。
    実際,虚構である。

    生産は,末端消費者が消費する物 (衣食住) の生産に収束する。
    その総量は,口の数で決まるから,ほぼ一定する。
    DX は GDP を増やすかも知れぬが,それに応じて末端消費者の消費量が増えるわけではない。
    しかもディジタル化社会は,ひとの貧困化が進む社会である。( IT 時代の貧乏 )

    GDP が増えた分は,どうなるのか?
    外国に消費者を求めるのである。
    「何のための国内産業か?」の思いになるが,産業は生き残るために生きるだけのものなので,こうなるのである。
      食料輸出国は,外国人に食べさせる食料を過生産して,国土を荒廃させ,資源を枯渇させる。

    そしてこの産業が,いまは「DX」「デジタルディスラプション」の虚構に嵌まっているというわけである。
    産業と末端の生活とのギャップは,拡がる一方となる。