Up | ロボット | 作成: 2024-10-03 更新: 2024-10-03 |
ひとは,商品の製造・購買を務めねばならない。 これを怠ると,商品経済は「景気悪化」という形で崩れ,ひとは生きられなくなる。 商品の製造・購買の務めは,無くてもよい物をつくり,無くてもよい物を買う,になる。 ひとは,無くてもよい物を買っては,それを捨てる。 捨てないと,無くてもよい物に埋まって身動きがとれなくなるからである。 昨年6月,「資産運用立国」の方針が閣議決定された。 言うところは, 「2,000兆円の家計金融資産を開放し,持続的成長に貢献させよう」。 家計金融資産を開放させる方法? これに税金をかける,である。 しかしその「持続的成長」は,「無くてもよい物生産の持続」である。 「資産運用立国」の意味は,「国民が有り金を このように,商品経済とは変なものである。 変なものだが,<生きるということの変>がこの変の元なので,どうしようもない。 さて,これからは人がロボットに替わられる時代である。 人のこれまでの生活にロボットは無かったのだから,ロボットは商品経済の最大級の「無くてもよい物」になる。 ひとは,生活空間・制度を,ロボットが行動しやすいものに変えていくことになるからである。 ひとの思いは「人間があくまで主で,ロボットは従」でも,ひとの行いは「ロボットが主で,人間が従」になるのである。 ひとは,何をするにしても,ロボットの都合を考えねばならなくなる。 人生のゴールが,ロボットに世話されることだった──というふうになる。 商品経済は,こうして一段と変なものになる。 ひとは,この一段と変なものになった商品経済で,生きていく。 しかしこれは,ひとの生き方が難しくなるということではない。 ひとはすんなりと「ロボット」を所与として受け入れ,適応していく。 ひとは状況の変化に対しては,けっこう融通無碍なのである。 この流れに棹さそうとする者は,ロボットに対する「無くてもよい物」の視座を確かにすべし。 いまはロボット関連事業者が,「売らんかな」で,また投資や行政の助成を呼び込むために,洗脳的にプロパガンダを畳み掛けているときなので,この視座はいっそう大切である。 |