Up スマホ : 要旨 作成: 2024-09-25
更新: 2024-09-25


    ネットワークづくりは,<集中>と<分散>を行ったり来たりする:
      <集中>は,中央が壊れたらネットワーク全体がダメになる。
      これで痛い目に遭うと,ネットワークを<分散>の形につくる。
      これによって,どこかが壊れることで全てがダメになるということは無くなる。
      <分散>にすると,管理が面倒になる。
      この面倒が嫌になると,<集中>で痛い目に遭ったことを忘れる。
      そして,ネットワークを<集中>の形につくる。

    <集中>と<分散>の行ったり来たりは,ネットワークづくりに限らない。
    ひとは色んなことで,これをやる。

    ひとは,複数のアカウント,ゲートウェイを使って生活している。
    例えば,銀行口座はアカウントの一つであり,住所録はゲートウェイの一つである。
    ひとは,これらの管理に苦労する。
    銀行口座はこれの他になかったっけ?」「住所録をどこにしまったかな?」」

    この苦労は,<分散>の苦労である。
    そこで,<集中>の方法が与えられると,ひとはそれに飛びつく。
    スマホは,これである。


    <集中>を果たしたスマホを無くしてしまったら,取り返しがつかない。
    ひとは,スマホを無くしてしまうことを考えないようにしている。
    考えたら恐ろしいし,考えてもどうしようもないからである。
      ひとはバックアップをとるという考えには向かわない。
      面倒そうだし敷居も高そうだからである。

    スマホは,ベンダー側にシステム障害が起これば,役に立たなくなる。
    これは,時たま,大規模に起こる。
    よってひとは,スマホが役立たなくなる危険は,知っている。
    しかし,「それが長期にわたったら?」ということは考えない。
    考えたら恐ろしいし,考えてもどうしようもないからである。

    実際,スマホを無くしたり,スマホが役立たなくなった単身者は,難民になる。
    先ずは一文無しになるからである。


    <集中>を果たしたスマホを失った者は,アカウントやゲートウェイの回復をどう行っていくことになるのだろう?
    そもそも,身分証明をどう行っていくことになるのだろう?,

    これはおもしろい問題である。
    デジタル化では,人もデジタル化されることになる。
    そのデジタルデータは,ネットの中に置かれ流通する。
    しかし,生身とそのデータを対応づけるものは,存在しない。

      マイナンバーカードを無くしたとき,あるいはマイナンバーカードの写真が自分と似ていないとき,自分が<個人番号 xxx.xxx.xxx.xxx の者>だということを,どうやって証す?
      さらに xxx.xxx.xxx.xxx を覚えていなかったらどうなる?

    郵便は,デジタルの時代にも無くならない。
    ベンダーのユーザ同定の方法は,郵便だからである。

    翻って,住所を持たない者は,デジタル社会では生きられないことになる。
    あるいは,自分が生きられる闇社会を捜すことになる。