Up 「写真」洗脳の終焉──総浮世絵師時代 作成: 2023-10-17
更新: 2023-10-17


    カメラ撮影画像は,その中から目的に適うものを選び,そしてレタッチする (「いじる」) のが当たり前である。
    いま,この当たり前は大衆のものになった。
    IT のおかげで,コストと技術で高かった敷居が,無いに等しくなったのである。

    皆が画像発信に熱心になることと画像作成アプリケーションの向上は,相互フィードバックする。
    アプリケーションが向上することで,画像作成はアイデアの豊かなものになる。

      みなが見事な画像を簡単に作成できるようになったので,「プロカメラマン」は「一般人の近づけない被写体に近づく者」がこれの唯一の意味になる。


    撮影画像を「いじる」は,除いたり加えたりの作業である。
    画像は,作品である。
    作成したものは,超現実 (シュール) の画像である。


    ひとは,「写真」のことばに洗脳されてきた。
    「カメラ撮影画像」だと示されたものを,「写真」と信じてきた。

    ひとのこの「写真」幻想を世論誘導に悪用してきたのが,マスコミである。
    都合のよいタイトルをつけられそうな撮影画像を選び,そして狙いに適うようにレタッチする。

    このマスコミがいま,「フェイク画像」をあげつらっている。
    「フェイク画像」を批判することで,自分たちの画像は真実だとひとに思わせようとしているのである。
    これもまた,洗脳である。


    画像にフェイクもフェイクでないも無い。
    画像はすべてフェイクである。
    問題は,「フェイク画像」ではない。
    問題は,この時代に「写真」のことばに洗脳されている者が,まだ存在しているということである。

    「カメラ撮影」は,19世紀に入ってからの出来事である。
    カメラが手持ちできるものになるのは,1870年代。
    人間はずっと,「写真」無しでやってきた。

    イメージをひとに伝えようとする方法は,絵であった。
    いまひとが発信している画像は,昔なら「浮世絵」である。
    その絵の内容に,フェイクかどうかの問いは起こらない。
    絵は,創作であることが了解されているからである。
    絵は,フェイクかどうかを問うものではなく,おもしろがるものである。


    ITの時代は,「真実」幻想がことごとく壊される時代である。
    「写真」のことばを文字通りに受け取る者は,騙される。

    これは,拙いことではない。
    「真実」は,幻想だからである。
    「真実」の無いことがわかることは,進歩である。

    いまひとは,みなが浮世絵師になって,「真実」の無いことを知る。
    みなが浮世絵師になるこの時代は,「写真」洗脳が終焉する時代である。
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