Up 水 : 要旨 作成: 2024-02-11
更新: 2024-02-11


    人は,水を飲まないわけにはいかない。
    水を飲まないとどのくらいで死ぬかは,ひとそれぞれ勝手なことを言っているが,科学的実験データが無い──あっても公表されるわけがない──のでわからない。
    1年は保たんだろう,1か月は保たんだろう,と縮めていって,「一週間は保たんだろう」くらいで収めているようだ。

    オンサイト型の独自避難生活では,水を確保しなければならない。
    最強は,取水できる小川が近くにあること。
    この場合,避難生活地はやや山あいということになる。

    また,「水」は腐っても H2O は腐るものではないので,水道水を何個もの大きなポリ容器に入れ,独自避難生活場所の物置にただ置いておくのもあり。
    容器の成分が溶けてどうたらを言う者がいそうだが,構うことではない。

    風呂などは,もとより考えることではない。
    体は,皮膚常在微生物によって清潔が保たれるようになっている。


    水は,湧かしてから飲む。
    生水に対する耐性が無いからである。
    耐性の正体は腸内常在微生物だが,「衛生」観念がこれを壊してしまうことになった。

    ちなみに,北海道は「エキノコックス怖い」で盛り上がる土地柄だが,エキノコックスと宿主の動物は共生しているわけである。
    人間だと症状を現すことがあるのは,エキノコックスにとって人間の腸内は勝手が違うからである。
    この「勝手」の中身もまた,腸内常在微生物である。
    つくづく生態系は奥深く,「衛生」観念は浅い。

    そもそも,体の不具合を懼れたり嫌がったりしているのは,よく生きられないことである。
    体の不具合は,体のうちである。
    実際,よく生きようとするときは,「死ぬときは死ぬ」が信条になる。
    「武士道と云うは死ぬ事と見付けたり」というわけである。
    隔世的独自避難生活──非難民生活──は「医療」とは無縁の生活なので,この達観はなおのこと重要である。