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Braithwaite (2010), pp.134-138.
‥‥セビリア大学のキンギョの研究者たちは、魚の空間行動について研究するのみでなく、10年以上にわたってキンギョの脳について調査してきていた。
彼らの発見は驚くべきものであり、どうやら魚の前脳には、ヒトの大脳辺縁系に類似する機能を果たす特殊な領域が存在するようだ。
そしてその領域は、恐れなどの情動をその基盤にもつプロセスを魚が学習するあり方に、影響を及ぼしている。
そのことは最近になってようやくわかったのだが、その理由は、魚の前脳の機能を解明するのに長い時間がかかったからである。
魚の前脳は、他の脊椎動物の前脳とおおむね似た外観をもっている。
しかし詳細に調査すると、魚の前脳の組織は、他の脊椎動物のものとは異なっていることが明らかになった。
そしてそのような相違があるために、大脳辺縁系などの構造が、魚の脳のどの部分にみいだせるかについて予測することを困難にしていたのだ。
魚の前脳の機能についてよりよく理解するために、スペインの研究者たちはキンギョの脳の特定の領域に注意深くダメージを与え、その魚が何を行えなくなるかを観察した。
魚の前脳には特殊な領域があることが次第にわかってきたが、それらの領域の機能を分析すると全体像はかえって混乱した。
というのも、晴乳類にみられるものに類似する領域はみつかったのだが、晴乳類とはまったく異なる場所にあったからだ。
そこで研究者たちは、胚発生から成魚になるまで、魚の脳がどのように発達するのかを注意深く観察した。
つまりどの領域の細胞組織がどのように特化し、どの構造に発達するのかを魚の成長に沿って観察したのである。
そして、それによってはじめて全体像が明らかになった。
きわめて困難な作業のすえ、スペインの研究チームは「陸生の近縁種に比べると、魚の脳は、裏返しになっている」と発表した。
つまりヒトの場合には脳の内部に埋もれている器官が、魚の場合には脳の前部に向かって外側に開いていたのだ。
この顕著な相違は、胚発生のある重要な段階で生じる。
哺乳類の場合には、脳の発達は神経管からはじまる。
脳は平らな板の状態から発達を開始し、やがてこの平らな板の外側のへりに位置する構造が向かいあうような方向へと内転しはじめる。
それに対し、ほとんどの魚の胚発生においては、それとは逆の現象が起きる。
脳の細胞組織へと発達する予定の神経管のへりの部分は、外転と呼ばれるプロセスによって互いに離れはじめ、その部分の構造が引き裂かれるようにして前方に押し出されていくのである。
胚発生におけるこの重要な差異の発見によって、魚の脳のどこに大脳辺縁系に類似する構造を探せばよいかを予測できるようになった。
ヒトやその他の動物の場合、大脳辺縁系とそれに関連するさまざまな構造は、大脳半球の内部にみいだされる。
関連する脳の部位はいくつかあるが、大脳辺縁系のきわめて重要な器官として、扁桃体と海馬体が挙げられる (これらの器官については図1参照)。
扁桃体は恐れなどの心の状態に密接に結びついている。
また海馬体は学習や記憶に関連し、できごとのタイミングや順序、そしてことに空間学習を決定する。
魚の脳の発達を観察すれば、ヒトの扁桃体と海馬体に相当する器官が、外転のプロセスによって前脳前面の屋根の位置に押し出されていくことを確認できるはずだ (図1参照)。
セビリア大学のチームは、前脳の扁桃体、あるいは海馬体の領域を、切除するか傷つけるかしたのち、その魚の行動を調査することによって、それらの器官のさまざまな機能を確認した。
行動の分析は、魚が回復するのを待ってから行われている。
海馬体に相当する領域が機能しなくなると、手術前には泳いで簡単に通り抜けていた迷路をうまく泳げなくなった。
この結果には、海馬体に損傷を受けた哺乳類にみられる、空間学習と記憶の障害にかなり似通ったところがある。
それに対して前脳の扁桃体の損傷は、電撃などの不快な刺激を回避するよう学習することを困難にした。
損傷の影響は、きわめて特定的なものだった。
つまり海馬体の機能を失った魚は依然として電撃の回避を学習できたし、扁桃体に損傷を受けた魚は迷路の課題を達成できたのだ。
したがって損傷によって損なわれたのは、学習一般ではなく、特定の形態の学習だと考えられる。
こうして発達、機能の両面から、魚の前脳には大脳辺縁系に類似する領域があるという証拠が示された。
またこの領域に関連して、魚の前脳にはドーパミン系の接続が存在するという証拠がある。
ドーパミン系は報酬の学習に重要な役割を果たし、哺乳類においては情動の基盤を形成するポジティブな、あるいはネガティブな心の状態に関わっている。
ヒトの大脳辺縁系に比べ、構造と機能がきわめて単純だとしても、魚に類似の組織が発見されたという事実には注目すべきだ。
そしてそれは、生物進化のかなり早い段階で、情動によって情報を処理する能力が生じたことをも示唆している。
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幸田正典 (2021), pp.25-29
デポン紀 (約4億年前) に広大な淡水域が出現し、そこに入り込んだ硬骨魚類が大繁栄した。
そのなかに、ユーステノプテロンという肉鰭類の魚がいた。
その仲間が陸に上がり、イクチオステガと呼ばれる原始的な四肢動物へと進化し、そして両生類へと繋がっていく。ユーステノプテロンの仲間は、陸上脊椎動物の魚類段階のご先祖様である。
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その化石を見るとユーステノプテロンの脳構造と脳神経がわかる。
驚いたことに、魚段階の遠い祖先の脳神経も、ヒトと同じく12本なのである。
まず脳については、ヒトの祖先の魚類の段階で、前方から大脳(終脳)・間脳・中脳・小脳・橋・延髄の6つの脳がこの順に並び、延髄から脊髄へとつながっている。
ヒトではこれが上下の配列になるが、同じ順で並ぷ。
前節で魚とヒトの脳構造は共通だと説明したが、ユーステノプテロンのころには、すでに同じだったということだ。そして12本の脳神経は、この魚でもヒトでも、同じ順番で並んでいるのだ。
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これらの一致は、脊椎動物の脳や脳神経は、ユーステノプテロンという魚類の進化段階ですでに確立していたことを示している。
脳神経を1本たりとも増やしも減らしもせずに、連綿と引き継いできたのが我々の脳なのだ。
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Wikipedia「エウステノプテロン」「イクチオステガ」から引用:
Eusthenopteron
Ichthyostega
- 参考ウェブサイト
- 引用文献
- Braithwaite, Victoria (2010) : Do fish feel pain?
- Oxford University Press, 2010.
- 高橋洋[訳]『魚は痛みを感じるか?』, 紀伊國屋書店, 2012.
- 幸田正典 (2021):『魚にも自分がわかる──動物認知研究の最先端』, 筑摩書房, 2021
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