ひとは,キタキツネにエキノコックスを結びつけるのが大好きだ。
キタキツネの糞については,「エキノコックスの卵が付いている」と脅すことを常とする。
しかし,キタキツネは畑も普通に徘徊している。
野菜のそばに糞もしていることになる。
だからといって,野菜サラダはやめようとはならない。
そして「危ない動物」を言い出したら,きりがない。
危ない動物は,ありふれている。
ひとは危ない動物を知らず,知らぬが仏で過ごしているだけである。
実際,イヌやネコも,「危ない動物」である。
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Dunn (2018), pp.271,272
‥‥‥人間が屋内でネコの糞便を介してトキソプラズマ原虫に曝露することは珍しくない。‥‥‥
妊娠中の女性がこれのオーシスト[卵嚢] をうっかり口に入れてしまうと、それが妊婦の胃の中で破裂し、腸管の内側を覆う細胞の中で無性生殖によって増殖したのち、血流に乗って他の組織に侵入していく。
あいにく、この寄生虫は、母体血と胎児血を隔てている関門で遮断されないので、胎児の体内にも入っていってしまう。
胎児はまだ、自身の免疫系が発達しておらず、母親から抗体をもらっているのだが、T細胞のような免疫細胞はもらえない。
これが問題となる。
というのも、トキソプラズマ原虫は通常、T細胞によって抑え込まれるからである。
T細胞が存在しない妊娠中の胎児の中では、トキソプラズマ原虫が野放しに増殖していき、精神発達遅滞、難聴、ひきつけ、網膜損傷を引き起こすおそれがある (妊娠前の感染は、胎児にはほとんどリスクを及ぼさない。寄生虫が血流に乗って移動せず、母親の筋肉や脳内の細胞に定着している可能性が高いからだ)。
このような先天性のトキソプラズマ症はそれほど多くはないが、珍しくもない。
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同上, pp.289,290
エキノコックス属条虫の物語は、今まさに解き明かされ始めたばかりだ。
現時点のエキノコックスについての理解は、1980年時点でのトキソプラズマ原虫と同程度までしか進んでいない。‥‥‥
エキノコックス属条虫の成虫は、イヌが大好きだ。‥‥‥
二匹のエキノコックス属条虫がイヌの体内で有性生殖を行ない、その結果産み出された卵が、イヌの糞と共に体外に排世される。
外界に出た卵は、その時が訪れるのをじっと待つ。
草食動物が草と一緒にうっかり、少量のイヌの糞を口に入れてしまうことは珍しくない。
これはあまり知られていない自然界の現実のひとつだ。
このような草食動物はヤギやヒツジのことが多い。
ヤギやヒツジがほとんどいない地域では、シカやワラビーがこの役割を果たす。
エキノコックスの卵は、草食動物の消化管内で孵化する。
生まれた幼虫は、草食動物の体中に広がっていき、さまざまな臓器や骨に嚢胞 (包虫嚢胞) を形成する。
草食動物が死んだとき、イヌがこの嚢胞を食べると、そのイヌはこの寄生虫にさらされる。
同じように、人間もヒツジなどの草食動物を食べたときに、エキノコックス属条虫の幼虫 (包虫) に感染する可能性がある。
条虫の幼虫が人間の体内で嚢胞を形成するのは、ヒツジの場合と同じだが、人間の体内では、嚢胞はとどまることなくどんどん成長する。
バスケットボールほどの大きさになることもある。
感染しているヒツジを食べて、体内にエキノコックスの嚢胞が形成されるというのは、なかなかたいそうなことではある。
しかしそこまでいかずとも、卵が混入しているイヌの糞を何かの拍子にちょっと口に入れてしまう、ということは思いのほか頻繁に起こる。
たとえばペットの犬に自分の顔を祇めさせるときなどだ。
この世界は俗っぽい活気に満ちている。
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引用文献
- Dunn, Rob (2018) : Never Home Alone
Basic Books, 2018.
今西康子[訳]『家は生態系』, 白揚社, 2021
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