Up 自意識 作成: 2021-12-02
更新: 2021-12-02


    ひとは,自意識を人間に特有のもののように思っている。
    そう思うのは,「われ,われを思う」が「自意識」だと思っているからである。

    実際は,生物は動物になると自意識が現れてくるようになる。
    動物とは自意識が必要になってくる物だからである。


    動物の行動は,<現れてくる相手に対応する>である。
    その相手のうちには,自分に気づいているかどうかが問題になるものがある。
    特に,自分を獲物にする動物と,自分が獲物にしようとする動物。
    これらに対しては,気づかれないように行動する。
    気づかれたときは,気づかれたときの行動をする。

    この行動様式により,動物は<相手と自分>の意識を進化させていくことになる。
    即ち,<相手と自分>の意識が必要になる場面でこれを適切に発現する者が,自然選択される。

    もちろん,「自意識がある」は,動物すべてに「同じようにある」ではない。
    「ある」は,「<無い>と連続」である。


    動物に自意識が「ある」ことは,ロジックの導くところである。
    しかし,その自意識の同定となると,人になつく種以外では難しくなる。
    たとえば,犬は難しくないが魚は難しい,といったぐあい。
    鳥では,カラスは人になつくので難しくないが,スズメは人になつかないので難しい。

    「なつくので難しくない・なつかないので難しい」とはどういうことか。
    <なつく>では,相手を特定していることを,なつく相手となつかない相手の分け隔てという形で,はっきり表してくる。
    <なつかない>の方は,これがない。


    「カラス学」の趣でなわばりをもつハシボソガラスのつがい「ボソ01」を観察しているが,これの「自意識」を紹介しよう。

    観察者は,ボソ01との互いの<相手と自分>関係を,餌やりでつくっている。
    この場合,ボソ01 が自分の方から餌を要求するようになる。
    要求のパフォーマンスは,<自分がいることを相手に気づかせる>である。
    観察者が気づいて<移動>の行動を起こすと,それはボソ01 にとって<餌が与えられる>のしるしになる。
    ボソ01 は,餌が置かれる場所に移動し,そこで待つ。

    相手が自分に気づいてくれる場所に自分を現す,相手が自分に気づくことを待つ,相手が自分に気づいたことを認識する──これらは,<相手と自分>を意識する行動であり,ここには「自意識」があることになる。
    翻って,「自意識」の意味は,この程度に考えるものである。


    このハシボソガラスに対し,スズメの場合は,ほんとうは<相手と自分>行動であるような行動も,<刺激に対する自動的反応>行動と片付けてしまえる。
    実際,西洋では,人間以外の動物はみな本能で行動しているという捉えが,つい最近まで続いてきたわけである。