Up カモ→ アヒル/ニワトリ→ ブタ→ ヒト 作成: 2022-02-08
更新: 2022-02-09


      山内 一也 (2018), pp.220,221
    鳥類と爬虫類の分岐よりもさらに一億年以上前に、カモの祖先とインフルエンザウイルスの共生が始まっていたのかもしれない。
    ともかく、非常に長い年月の共生関係の中で、カモはインフルエンザウイルスの貯蔵庫になったと言えよう。
    野生のカモと平和共存していたウイルスが、なぜ家禽のニワトリに強い病原性を持つようになったのだろうか。
    二〇世紀終わりから起きはじめた H5N1 ウイルスの流行の背景には、過去30年間の中国の急成長がある。
    食肉需要の急激な増加に応じて、中国ではニワトリとアヒルの飼育数が東アジアのほかの国をはるかに超えるペースで増加した。
    1961年に100万トン以下だった鶏肉の生産量は、2009年には1200万トンに、また10万トン以下だったアヒル肉の生産量は300万トンに増加した。
    強い症状を示さずにH5N1ウイルスをまき散らすアヒルの飼育数が増えることは、ニワトリへのウイルスの伝播と持続とつながっている。
    カモは秋には越冬のために南方へ渡る。
    中国では、約140億羽のニワトリが主に放し飼いで飼育されており、同じ場所でアヒルも多数飼育されている。
    アヒルはカモが家畜化されたものなので、渡ってきたカモはアヒルの周辺に集まる。
    ここでカモからアヒルにインフルエンザウイルスが伝播される。
    そして、アヒルからニワトリにウイルスは受け渡されると考えられている。
    ニワトリにとってインフルエンザウイルスはなじみのない異物であるため、抗体が産生され、ウイルスを排除しようとする。
    ウイルスは抗体の選択圧の下、ニワトリの間で毒性を増していって、高確率で致死的感染を起こすようになる。
    そうなっても飼育されているニワトリの数は膨大なので、ウイルスの増殖の場となるニワトリの供給が絶えることはない。
    H5N1 ウイルスは、家禽のアヒルに対しては毒性が低く、ニワトリに対してのみ強い毒性を示す。
    2003年から2004年にかけて流行したウイルスをアヒルに接種してみると、ほとんど死亡することはなくアヒルからアヒルにウイルスが伝播された。
    カモがウイルスの「安定貯蔵庫」だとするならば、アヒルはウイルスの「中継場所」、ニワトリは変異ウイルスの「開発工場」と言えるだろう。
    中国では、約60%のニワトリが農村地帯の小さな農家の庭先で飼育されている。
    そして、市場では生きたニワトリが売買されている。
    そのため、ヒトとニワトリは絶えず接触することになる。
    カモの間で数千万年も平和に暮らしていたインフルエンザウイルスは、20世紀にカモ→アヒル→ニワトリ→ヒトという思いがけない経路を見つけ、ヒトの新型インフルエンザウイルスに姿を変えようとしているのである。
    現在、われわれの周囲に存在するウイルスの多くは、おそらく数百万年から数千万年にもわたって宿主生物と平和共存してきたものである。
    人間社会との遭遇は、ウイルスにとってはその長い歴史の中のほんの一コマにすぎない。
    しかし、わずか数十年の間に、ウイルスは人間社会の中でそれまでに経験したことのないさまざまなプレッシャーを受けるようになった。
    われわれにとっての激動の世界は、ウイルスにとっても同じなのである。


      喜田宏 (1993), p.161
    A/Hong Kong/68(H3N2) インフルエンザウイルスの出現に際してブタが果たした役割を実証するために,カモ,ブタおよびヒト由来ウイルスならびにこれらの混合をブタに実験感染させた.
    得られた結果から,ブタの上部呼吸器上皮はヒトのインフルエンザAウイルスばかりでなく,カモの H3ウイルス HA にも感受性があることが明らかとなった.
    また,カモ由来の A/duck/Hokkaido/8/80(H3N8) は単独ではブタの呼吸器で増殖しなかったが,同時にブタ由来のA/swine/Hokkaido/2/81(H1N1) を鼻腔内に滴下すると,救出されて増殖した.
    このような実験感染ブタの鼻腔ぬぐい液中のウイルスを,感受性細胞を用いてプラーククローニングを行なった
    結果,‥‥ 遺伝子再集合体が分離された.
    すなわち,ブタの呼吸器が,カモのウイルスとブタまたはヒトのウイルスの遺伝子再集合体を産生する場 "mixing vessel" となることが実証された.


    引用文献
    • 山内 一也 (2018) : 『ウイルスの意味論──生命の定義を超えた存在』
        みすず書房, 2018
    • 喜田宏 (1993) : 新型インフルエンザウイルスの出現機構
        化学と生物, vol.31(3), 1993. pp.154-162.