Up キラーウイルス化 作成: 2019-05-01
更新: 2019-05-01


      山内一也 (2018), pp.220,221
    野生のカモと平和共存していたウイルスが、なぜ家禽のニワトリに強い病原性を持つようになったのだろうか。
    二〇世紀終わりから起きはじめたH5N1ウイルスの流行の背景には、過去三〇年間の中国の急成長がある。
    食肉需要の急激な増加に応じて、中国ではニワトリとアヒルの飼育数が東アジアのほかの国をはるかに超えるペースで増加した。
    一九六一年に一〇〇万トン以下だった鶏肉の生産量は、二〇〇九年には一二〇〇万トンに、また一〇万トン以下だったアヒル肉の生産量は三〇〇万トンに増加した。
    強い症状を示さずにH5N1ウイルスをまき散らすアヒルの飼育数が増えることは、ニワトリへのウイルスの伝播と持続とつながっている。
    カモは秋には越冬のために南方へ渡る。
    中国では、約一四〇億羽のニワトリが主に放し飼いで飼育されており、同じ場所でアヒルも多数飼育されている。
    アヒルはカモが家畜化されたものなので、渡ってきたカモはアヒルの周辺に集まる。
    ここでカモからアヒルにインフルエンザウイルスが伝播される。
    そして、アヒルからニワトリにウイルスは受け渡されると考えられている。
    ニワトリにとってインフルエンザウイルスはなじみのない異物であるため、抗体が産生され、ウイルスを排除しようとする。
    ウイルスは抗体の選択圧の下、ニワトリの間で毒性を増していって、高確率で致死的感染を起こすようになる。

    そうなっても飼育されているニワトリの数は膨大なので、ウイルスの増殖の場となるニワトリの供給が絶えることはない。
    H5N1ウイルスは、家禽のアヒルに対しては毒性が低く、ニワトリに対してのみ強い毒性を示す。
    二〇〇三年から二〇〇四年にかけて流行したウイルスをアヒルに接種してみると、ほとんど死亡することはなくアヒルからアヒルにウイルスが伝播された。
    カモがウイルスの「安定貯蔵庫」だとするならば、アヒルはウイルスの「中継場所」、ニワトリは変異ウイルスの「開発工場」と言えるだろう。
    中国では、約六〇%のニワトリが農村地帯の小さな農家の庭先で飼育されている。
    そして、市場では生きたニワトリが売買されている。
    そのため、ヒトとニワトリは絶えず接触することになる。
    カモの間で数千万年も平和に暮らしていたインフルエンザウイルスは、二〇世紀にカモ→アヒル→ニワトリ→ヒトという思いがけない経路を見つけ、ヒトの新型インフルエンザウイルスに姿を変えようとしているのである。
    現在、われわれの周囲に存在するウイルスの多くは、おそらく数百万年から数千万年にもわたって宿主生物と平和共存してきたものである。
    人間社会との遭遇は、ウイルスにとってはその長い歴史の中のほんの一コマにすぎない。
    しかし、わずか数十年の間に、ウイルスは人間社会の中でそれまでに経験したことのないさまざまなプレッシャーを受けるようになった。
    われわれにとっての激動の世界は、ウイルスにとっても同じなのである。


  • 引用/参考文献
    • 山内一也
      • 『ウイルスの意味論』, みすず書房, 2018
      • 『キラーウイルス感染症──逆襲する病原体とどう共存するか』(ふたばらいふ新書), 双葉社, 2001