Up 「生物」の存在論 作成: 2019-04-29
更新: 2019-04-29


    自然は,様々な粒子の循環である。
    この循環は,その内に無数の<淀み>を形成する。

    <淀み>は,無常の定常である。
    「無常」の意味は,「粒子が絶えず出入りしている」である
    「定常」の意味は,「形が保たれている」である。

    この<淀み>が,ひとのいう「物」にあたる。


    粒子の「出入り」の内容は:
      <淀み>から離脱する粒子がある
      <淀み>に捕捉される粒子がある
    「定常」は,この「出入り」が均衡している様である。

    ひとの目には,粒子の循環が見えないので,「物」は固まりに見える。
    しかし,粒子の尺度では,物はスカスカであり,そして粒子の出入りがある。
    スカスカの状態で粒子をつなげているものは,物理学・化学の主題になる各種<力>である。

    <淀み>のふるまいは,自然の粒子循環全体に作用し,自然の粒子循環を変化させる。
    こうして,自然の粒子循環は途轍もなく複雑なものになる。


    <淀み>のうちに,自己複製する<淀み>がある。
    即ち,自分が生じてから滅するまでの間に,自分とライフサイクルが同型の<淀み>を派生する<淀み>がある。
    この「自己複製する<淀み>」が,「生物」にあたる。

    「<淀み>のふるまい」は,生物の場合「営み」とか「生活」という言い方になる。
    一般に<淀み>のふるまいは自然の更新であるから,特に《生物の営みは自然の更新》。


    「物」そして「生物」の存在論は,以上の内容を以て,流体論になる。
    科学としては,「自然流体学」といったものになる。