Up 5.3 指導案作成の実践論  


     指導案作成の実践論(狭義実践論)の問題領域を,わたしはつぎのように考えることにする:
      (1) 教育の投機性
      (2) 教材研究
      (3) 指導案
      (4) 各論

     (1) の主題は,投機性を教育の本質として捉えることである。投機性は,教育に関わる否定性として問題になるのではない。われわれが見なければならないのは,逆にこれの肯定性である。投機性を本質としていることで,教育は自閉しない/できない。教育をつねにそれ自身から逸脱させ,可能性に開かせる契機,それが投機性である。

     (2) の主題はありふれたものであるが,しかし奥行きの深い主題である。この行論が深いものになるか薄っぺらなものになるかは,ひとえに"教材"という概念の把握に掛かっている。意味中心主義的な"教具論"の形でこの主題が貫徹されると考える人の行論は,薄っぺらなものになろう。逆に,"テクスト論"として混沌に直接対峙しようとする人の行論は,極めて深いものになろう。

     (3)"指導案"の主題もありふれたものであるが,ここでわたしが特に強調したいのは,指導案は読者を教育する機能を持たねばならないということである。指導案はそれを"指導案"として読める人を読者に想定して作成される。そして,"指導案"が読めることは,一定の学習の成果としての能力である。したがって,"指導案"を自己完結的(self-consistent)なものに近づけようとするときの指導案作成のスタンスは,"読者に教える"──"作成者であるわたしを理解させる"──である。こういったわけで,指導案の作成は,一つの体系を作ることと等しく,そこには通常思われているよりはるかに多くのことが書かれねばならないのである。

     最後の (4)"各論"は,個々の指導内容(数学的主題)に各論的に応ずる実践論である。そしてこれが,数学教育学の最終ゴールである。