Up | 5.4.3 反-意味中心主義の図式 |
こころは,
"行動"に解消される"意識"には,意味-の-意識もある。但し,意識される〈意味〉というものがこの意識以前にあるのではない。あくまでも"意味を意識する"と表現したくなるような意識があるということである。 わたしの第一の図式はすべてをブラックボックスにしているような見掛けを呈しているが,主旨は,〈内〉を抹消する──特に,媒介項としての"表象"を錯誤として抹消する──ことにある(よって第二の図式の方がよい)。そこで特に, この帰結がきつ過ぎると感じられるとしたら,それはとりもなおさず,意味中心主義がきつ過ぎるということなのだ。(意味中心主義は一つの根本的な原理であり,そのためにこれがコケたときの波及効果は甚大なものにならざるを得ない。)このことはよくよく理解し,銘記しよう。反-Xがきつくなるのは,Xがそもそもきついからなのである。 (註) "言葉を口に出さないで言うことと,口に出して言うことの間に本質的な違いはない"──これと同じ主旨で"意識"は"行動"から区別されるものではない。 |