Up 5.7.1 価値不可視の上の投機  


     新人教師は,準備不足を余儀なくされることから,どうしても機能欠損の教育(§3.6)を行なうことになる。しかし,別の意味で,機能欠損を余儀なくされているのは新人教師ばかりではない。

     既に述べたように,教育の実践が従うべき教育の価値・ゴール観というものは,公けに打ち立てられていないし,また打ち立てられるものでもない。それは実践と併行して作られている──書き加え,書き直しが延々と続く性格のものである。

     機能欠損の教育は,必然的に投機である。"投機"──先が見えないままに"ままよ"とやらざるを得ない,という意味において。