"教材研究"を,わたしはつぎの二つを合わせたものとして考えることにする:
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ゴールとなる言語ゲームの同定(主題研究)
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(2) |
学習者をこのゴールに到達させるために"授業"として逐次展開されるところのテクストの同定(指導法の研究)
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実際,これまでにも"教材研究"という語はこのような意味で使われてきている──と解釈できる。("教材"が"教具"の意味で使われているときでも,主題研究に及ばないような教材研究はあり得ない。)
ある数学的内容を"教える"とは,学習者をある言語ゲームの主体に育てることである。(1) は,この言語ゲームを同定することである。言語ゲームは,一つの生活態xに対するxとメタ-x("x"についての論考)の二種類で考えられる。
(2) の"テクスト"には,教師の所作,教具,雰囲気といった,学習者が反応するすべてのものが含まれる。しかし勿論,完全な形でテクストを同定すること(そんなことはあり得ない)が (2) の内容ではない。われわれの"良識"が"同定すべし"と命ずるものを同定することが,その内容である。そこで実際には,教師の所作・発話と教具の同定が主になる。
これまで強調してきたように,テクストの意義は"育てるための食物"である。このとき,教師が犯しやすい間違いのパターンは,つぎの三つである:
(1) |
"食える"が全てになって"育てる"を忘却する("たのしい授業")
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(2) |
"育てる"に焦って食えないものを食わせようとする
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(3) |
食物を誤まる
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