Up | 5.9 指導案 |
数学教育学の最終的成果は,"教える"仕方を教師に明示的に与えるものとしての,この"指導案"である。しかし,"明示的に与える"とは言っても,あくまでも,言葉(記号)の可能性の限りにおいて,ということである。このコミュニケーションは,読者である教師の傾向性を利用している。実際,指導案をわれわれは"事態の記述"のように意識して書くが,それはあくまでも,相手の傾向性を見込んでいる限りで"事態の記述"であるに過ぎない。 "事態の記述"とは何かと改めて考えてみよう。即物的にはそれは一つの形象であり,"事態"がそこに認められるわけではない形象である。しかしそれは,これを見た人が所期の形で反応することが十分予想される形象なのである。われわれはこの形象を習得した。そして,この形象の実効性が,われわれにこの形象を"事態の記述"のように思わせてしまうのである。 指導案の実効──言葉(記号)の実効として──は,相手の傾向性を見込む。これは言い換えると,《指導案はそれが読める者にしか"指導案"として実効しない》ということである。指導案を利用できる者は,何がしかの訓練(経験)を積んでいる者である。 しかし,そうだからなおさら,指導案は読者に対する作成者のコミュニケーションとして作成される必要がある。 作成者である己れを読者に理解させるというスタンスで書かれる指導案の書式は,したがって,コミュニケーションに最適な書式として決まることになる。それは例えばつぎのようになる。即ち,先ず〈単元〉について,
(1.1) 主題の数学的位置付け (1.2) ゴールとなる言語ゲーム (2) 学習者の傾向性 (3) 単元カリキュラム (4) カリキュラムの根拠 そして〈各時の授業〉について,
(1.1) 主題の数学的位置付け (1.2) ゴールとなる言語ゲーム (2) 学習者の傾向性 (3) 授業案(狭義指導案) (4) 授業案の根拠 (4) の"根拠"には,特に,多くの失敗の経験から得た教訓が根拠の形に直されて記されるであろう。 |