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「数は量の比」は,いつも世代的忘却の体(てい)にある。 本論考は,[1], [2] に続いて,「数は量の比」の想起を行おうとしたものである。 そして,「数学から学校数学を見る」が,このときの立場である。 実際,学校数学の「数は量の抽象」を見る立場の数学が,「数は量の比」である。 「数は量の抽象」は,<量→数>の写像論である。 しかし,この立場を貫徹しようとして,無理を糊塗する理屈 (没論理) を重ねることになった。 いまや「数は量の抽象」は複雑で膨大な論になっているが,基本の考え (出発点) は単純で,<量→数>の写像論である。 学校数学は「数は量の抽象」を択っているが,実際の授業では,<量→数>の写像論でとどまっている。 すなわち,「数は量の抽象」の論理(没論理)を真面目に使って量の問題を推論するということは,やっていない。 実際,これをやれば,わけのわからない内容になる。 (推論のレベルまで降ると,「数は量の抽象」の混沌に対して「数は量の比」の明解がはっきりしてくる。) 学校数学が「数は量の抽象」を択っていても,なんとかやり通せているのは,「数は量の抽象」の深みにまでは踏み込んでいないからである。 |