Up Conceptions of "Problem-Solving", and Objectives of Mathematics Education : A Note
( 概 要 )
作成: 2012-09-10
更新: 2012-09-10


( 作成日および作成目的不明 )


      "問題解決" は,アメリカの数学教育界で今は最も繁く論じられているテーマであるが,本稿は,この概念を,それの歴史的脈絡に着目しつつ,規定あるいは位置づけようとするものである。
      今日の問題解決論において最も特徴的な点は,"問題解決ストラティジー" なるものを概念化し,それを活用する能力として '問題解決能力' を捉えていこうとしているところにある。ストラティジー論を主要部分としてもつかかる問題解決論は,'good problem-solver' なるものの育成を教育目標として打出す立場から論じられているテーマである。もし,'問題解決能力' の涵養・育成ということが教育の目標として打出され,そのための指導の設計が課題となれば,'問題解決能力' を木目細かく捉えその諸相を明らかにすることが,確かに,第一の問題とならねばならない。そして,まさにこのような問題に対するアプローチの一つとして "問題解決ストラティジー" というものを概念化し問題化する方法が打出されていると,理解できるのである。
      しかし,筆者は,"問題解決ストラティジー" としてアメリカの数学教育界で論じられているものは,実は問題解決行動の規範に過ぎないのであり,したがってそれの学習がそのまま問題一般を解決できることにつながるものではない,というように考えている。いわゆる "問題解決ストラティジー" の学習は,"問題" という対象性を学習し "問題解決" を規範的な行動様式として概念化し理解する,という内容のものであるしかないのである。実際,本当に問題解決能力として考え得るものは,問題解決ストラティジー論で問題にされるようなコンテント・フリーな能力ではあり得ない。
      いわゆる "問題解決ストラティジー" の指導の実際の射程をこのように見極めたとき,その指導の意義は失われたと言えるであろうか。決してそうではない。"問題" および "問題解決" なる対象性を理解させる指導は,重要である。筆者は,ただ,それは '問題解決能力' の涵養とか 'good problem-solver' の育成とかを実践するというものではない,と主張しているのである。
      今日の問題解決論は,その第一歩において既に誤っている。即ち,'問題解決能力', 'good problem-solver' を実在のものとして概念化した段階で,誤っているのである。そのような範疇が現実的なものでないことは明らかである。 good problem-solver としては,ある領分における good problem-solver しかいない。新しく経験する領分においては誰でも最初は poor problem-solver に甘んじるより他ない。そして,すべての領分をマスターできる人も,またそうしようとする人も,この世にはいないのである。
      実のところ,'good problem-solver' の育成とは,アメリカの進歩主義者 (Progressivists) によって教育目標化されていたところのものである。彼らは,教育の最高目標を,デモクラシー社会を支え,発展させることのできる能力をもった人間を育成することに,置いていた。そして 'good problem-solver' あるいは 'good thinker' であることを,デモクラシー社会の成員の最も重要な資質の一つとして,とりあげたのである。
      "問題解決" はまた,以上述べてきた指導目標論という脈絡の中で問題にされる概念であることの他に,教授/学習方法論という脈絡の中でも問題にされる概念である。例えば,"問題解決" が発見法 (heuristics) との関連で論じられているような場合が,そうである。本稿では,このような意味合いで論じられる "問題解決" に対応するものとして,J. Dewey の "problem method" の概念をとりあげ,これを論じた。
      最後に,自己実現,超(メタ)世界の把握,そして "問題解決" の概念の獲得という教育目的のそれぞれにおいて,問題解決がどのように問題になるかということを,問題提起しつつ考察した。