Up 算数教育通信:量と数と 作成: 2012-09-14
更新: 2012-09-14


『石川算数』No.43 (1987.2), pp.7-10

量と数と

金沢大学教育学部 宮 下 英 明

    1 量とは?

      "量とは何か?", "数とは何か?" と問われたとき,あなたはどのように答えますか。ここでは一つの答え方を示してみることにします。

      但し,この答え方は,残念ながら,日常で実践できるものとは言えません。一言で済まないからです。"量とは/数とは何か?" という問いが純粋に向学心から出ているものなら,問うた相手はあなたの説明を辛抱して聴いてくれるでしょう。しかしこの問いがあっさりした気のきいた答えを期待してなされたものなら,相手はあなたの説明にうんざりして,"もうやめてくれ" というような顔をするでしょう。みなさんには,ぜひここでは辛抱して,以下を読み進んでほしいと思います。


    1.1 形式としての量

      "量とは何か?" と問われて答えにつまっても,わたしたちは,量としてどのようなものがあるかを言うことはできます。長さ,重さ,時刻,時間,温度,速度,硬度,数(かず),等々。では,どうしてこれらは"量" なのか。これらを"量" と呼ぶというのは,一体どういうことなのか。

      これらがある意味で同じものと見れる,仲間と見なせる,ということが先ずあるのでしょう。そしてこれらをひとしく"量" と呼ぶことで,間接的にこれらは仲間であるということを主張しています。

      では,"量" と呼ばれている種々のものは,どのような見方によって,互いに同じ仲間のものということにされているのか。例えば長さと時間は,現象としては全く別物に見えます。

      "量" という仲間をつくっている規準は,<形式>です。即ち,同じ形式をもつものということで,種々の量は仲間("量")と見なされているのです。

      したがって,"量とは何か?" という問いに対して,"それは一つの形式である" という答え方が可能になります。もちろんこのときには,それはどのような形式であるかを述べることになるわけです。そこでこれより,"量" とはどのような形式のことであるかを見ていくことにしましょう。

      しかしここで,"量" の形式は単一ではないということに注意しておきましょう。実際,例えば時間,硬度,数(かず) は互いに異なる形式のものです。──時間同士の和を考えるが,硬度に和の概念はない;時間は稠密に考えられているが,数(かず) は離散である;等々。

      "量" に異なる形式のものがあるということは,異なる"量" があるということに他なりません。そこで異なる"量" がどうしてまた同じ仲間("量")として見られるようになるのか,その規準は何か,という問題も出てきます。しかしこの問題に立ち入ることはここではしません。わたしたちは,時刻がそれの例になるような"量"(形式)──それも,代数的な形式──をもっぱら考えていくことにします。なぜ時刻なのか。量の一つの典型が,これに示されているからです。


    1.2 量(=形式)の記述

      時刻という量をわたしたちは日常どのような文脈の中で使用しているでしょうか。形式──但し,代数的形式──ということだけに限定して考えるならば,
      "2時から3時間経てば5時になる"
    あるいは
      "2時と5時の間には3時間の経過がある"
    というのが,唯一のものになっています。時刻には時間が付随しているわけであり,実際,時刻は単独では使い物になりません。

      時間の方はどうでしょう。それの日常的な使用は,どのような形式のものになっているでしょうか。上に述べた時刻に対するものを除いては,つぎの二つになります:
      "2時間(経過)と3時間(経過)で5時間(経過)"
      "6時間(経過)の2/3(倍)で4時間(経過)"
    そして後者の形で,時間には倍(時間に関する)が付随しています。

      そこでさらに,倍の日常的な使用の形式ということになりますが,時間に対するところの先のものを除けば,これは
      "時間xの2倍とxの3倍でxの5倍"
      "時間xを2倍して3倍はxの6倍" ,
    の二つになります。この倍にはさらに他の何かが付随してあるでしょうか。これに付随するものを考えることは,論理的には可能です。(2章の数の説明のところで,この方法が述べられることになります。)しかし,時刻の日常的な使用に関しては,この段階で止めて十分です。即ち,時刻,時間,倍(時間に関する)の三つに関するこれまでに示した形式で,時刻の日常的な使用の代数的な部分は全て説明可能となります。

      ここで,これらの形式を記号を用いて記述してみることにします。

      倍(時間に関する)から取りかかることにします。先ず,倍全体の集合というものを考えて,これをNで表わすことにします。倍については,倍の和──"xの2倍とxの3倍でxの5倍" ──と倍の合成──"2倍して3倍すると6倍" ──が考えられています。いまこれらをそれぞれ,+と×で表わすことにすると,集合Nにおいて二つの算法+,×が定義されたことになります。

      算法の+と×に関しては以下のことが成立しています(わたしたちが当たり前のこととしていつも使っていることですから,あっさり読み流して下さい)。

      先ず,+について,
      1) α+β=β+α    (可換),
      2) (α+β)+γ=α+(β+γ) (結合的),
      3) すべてのNの元αに対して α+0=α であるようなNの元0(零元)が存在する,
      4) Nの各元αに対し,α+β=0となるようなNの元βが存在する──これをαの対称元 といい,−αと書く.
    以上のことを指して,Nは+に関して可換群をなすと言います( 2),3),4)に対して"群" ,1)に対して"可換")。

      ×については,
      5) α×β=β×α    (可換),
      6) (α×β)×γ=α×(β×γ) (結合的),
      7) すべてのNの元αに対して α×1=α であるようなNの元1(単位元)が存在する,
      8) 0と異なるNの各元αに対し,α×β=1 となるようなNの元βが存在する──これを αの逆元といい,α<-1/sup>と書く.
    さらに+と×の間には,
      9) (α+β)×γ=α×γ+β×γ(分配的)
    が成立しています。そして以上のすべてのことを指して,Nは+と×に関して体(たい)をなすと言います。したがって,倍の形式については,"システム(N,+,×)は体をなす" と言って,言い尽くしてしまうことができるわけです。

      つぎは,時間です。時間全体の集合というものを考えて,これをDで表わすことにします。

      Dにおいては,先ず,時間同士の和として加法+が定義されます。そしてDはこの算法に関して可換群をなしています("システム(D,+)は可換群")。

      ところで,時間に対しては,和のほかに,倍が考えられています。いま,時間xのα倍をx×αで表わすことにします(×は,下付けの小さい x のつもりで書いています──倍に関する乗法×と区別するためです)。これは,Dの元に対するNの元の作用×を定義したことになります。

      この作用×については,
(x×α)×β=x×(α×β) 
×(α+β)=x×α+x×β
(x+y)×α=x×α+y×α
×1=x
    が成立しています。(Dの元を小文字のローマ字で,Nの元をギリシャ文字で表わしています。)これも,わたしたちが当たり前のこととしていつも使っていることです。

      さてここで,作用×を,システム(D,+)と(N,+,×)をつなぐものとして見ることにしましょう。このときわたしたちは,さらに大きなシステム((D,+),(N,+,×),×)を考えていることになります。そして実は,このシステムは数学の一つの概念になっています。"ベクトル空間"(あるいは"線型空間")というのがそれです。詳しく言うと,システム((D,+),(N,+,×),×)については,"Dは体N上のベクトル空間である" とか,"DはNを係数体として伴うベクトル空間である" というような言い回しがされます。("係数" のことばが出てくる事情はわかりますね。x×αのαをxの係数と読むことがありますが,この場合に対応しているわけです。)

      くれぐれも,ここで数学をやっていると思わないで下さい。以上のことは,子どもたちも知っていることです(もちろん,実践的にということですが)。

      さて,時間のベクトル空間には,つぎのような特別な性質があります。即ち,0でない時間uを勝手に決めて,任意の時間xを,このuを倍した形で表わすことができるということです。(現実に表わすことができるかどうかは問題ですが,ともかくそのようなものとしてわたしたちは時間を考えています。)これは<測定>の原理にもなっているわけですが,この性質を指して,時間のベクトル空間は"1次元" であると言います。

      ちなみに,平面上の移動ベクトルは,二つのベクトルを用いれば表現できて,しかも一つではできないという意味で,"2次元" ということになります。(一般の"n次元" も,ここから類推して下さい。)

      最後にいよいよ時刻です。時刻全体の集合というものを考えて,これをQで表わしましょう。

      Qの中には算法(Qの二元に対しQの一元を対応させるもの)はありません。Qについては,Qの元に対するDの元の作用があるのみです。それは,時刻Xと時間(ベクトルとして)xに対し,Xxを,Xからの経過時間がxであるところの時刻として読むところのものです。(は下付けの小さい+です──時間に関する加法+と区別するためです。)

      この作用については,つぎのことが成立しています:
(Xx)y=X(x+y),
0=X.
    そしてこの関係によってシステム(Q,((D,+),(N,+,×),×),)が考えられることになります。そしてこれに対しては,"アフィン空間" という概念が数学にあります。即ち,"Qはベクトル空間 ((D,+),(N,+,×),×) を随伴するアフィン空間である" といった言い回しがされます。(このとき,Dの元は"併進(平行移動)" と読まれます。即ち,Xxを,Xに平行移動xを及ぼすこと,ないしその結果というように,読むわけです。)

      一般に,随伴するベクトル空間がn次元のとき,アフィン空間はn次元であると言われます。ところでいまの場合は,随伴ベクトル空間は時間のベクトル空間で,それは1次元ですから,時刻のアフィン空間は1次元ということになります。

      "量"(=形式)に関する議論はこれで終わりです。即ち,時刻の形式の(Q,((D,+),(N,+,×),×),)が "量"(=形式)としてここで結論されるところのものです。この形式でもって考えられているものを "量" と呼ぶことにする,というわけです。

      この場合,時間はつぎのように解釈することで,量(Q,((D,+),(N,+,×),×),)になります。即ち,QとしてD自身を,そしてとしてDの加法+を,とります。

      ここで十分認識してほしいのは,この手続きは決して単に形式的ないし便宜的といったものではないということです。意識には上りにくいのですが,時間のこの二つの身分は現実的なものです。それはつぎの図式によって端的に示すことができます:


    ここには二つの "2時間(h)" があります。直線上の点として表わした2時間はQの元で,ベクトルとして表わした2時間はDの元です。" 2,30分ならまだしも,わたしは彼を2時間も待ったのだ" と言うときの2時間はQの元の身分のものと言えましょう。これに対して,"既に2時間も彼を待っていることになるから,あの電車にはもう間に合わない" と言うときの2時間はDの元です。

      算数科で取り上げられる"量" には,長さ,面積,かさ,体積,時刻・時間,重さ,角,速さがありますが,これらは本来すべて(Q,((D,+),(N,+,×),×),)の形式でくくることのできる量です。したがって,算数の中で考える限りでは,"量" をこの形式で定義してしまって差し支えありません。

      なお,この形式では,数(かず) ──いわゆる"離散量" ──はとらえることができません。しかし,Nとして(有理数全体の集合)をとり,× はいつも定義されるとは限らないという留保をつけて × が定義される条件を明示するならば,(Q,((D,+),(N,+,×),×),)は数(かず) の形式になります。(定義される・されないとはつぎのようなことです:6人の2/3は定義されるが,7人の2/3は定義されない。)


    2 数とは?

      決められた紙数をとうに過ぎていますので,このテーマについては極く簡単に述べることにします。

      数とは,差し当たっては,量の形式(Q,((D,+),(N,+,×),×),)の中の(N,+,×)のことです。即ち,量に関する倍というのが,数の本来の身分です。

      ところが数は,つぎに量としても考えることができます。即ち,QとしてN自身を,(D,+)として(N,+)を,×としてNの×を,としてNの+を,それぞれとれば,(Q,((D,+),(N,+,×),×),)は量になっています。

      数直線の中に,


    のように三つの身分の2を見てとることができますが,これらは上から順にQ,D,Nの元の身分のものです。


    3 量の数計算

      数の現実的な意義は,量の計算を可能にするということです。量計算は,数計算という形で実現できることになります。しかしいまは,このことの内容について述べる余裕はありません。別の機会をまちたいと思います。