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3-2 行儀と論理



 「形」の実践を上のように図式化するとき,2つの異なる要素が区別されてくる。すなわち,(1),(3) は恣意によって導かれるプロセスで,(2) は恣意の排除される論理計算のプロセスである。

 ただし「恣意」とはいっても,個々ばらばらとなるようなものではない。それは「行儀」として一定の形に向かう。実際,これから逸脱する人は,「おかしい」とか「ひねくれている」と見なされる。「ユニーク」というように評価されることもあるが,これを繰り返すと「いい加減にしろ」となるだろう。

 教科教育は「行儀」と「論理」の両方を扱う。特に,生活科──行儀の指導──の一部を担当している。

 教科教育で「行儀の指導」と「論理の指導」を区別することは重要である。この区別に鈍感な教師は少なくないので,わたしはここでこれを特に強調しておく。

 教師が子どもに与える○(まる)には,二通りある。「あなたは行儀のよい子です」,「よい社会人にまた一歩近づきました」と評価する○と,「あなたは正しく論理計算ができています」と評価する○である。

 ノートを「四角形」と言う子に○を与えるのは,前者である。「長方形は四角形である」と言う子に○を与えるのは,後者である。

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