Up | 「意味を知る」の意味 | 作成: 2010-10-24 更新: 2010-10-24 |
定義は,「形式」の観点から本質と定めたものの記述である。 その形式は,意味の抽象である。 そして意味とは,卑近な意味のこと,すなわち出処である。 「微積分」の出処は,運動解析である。 運動解析では,時間・距離・速さが対象化される。 さらに,<経過時間─距離>と<経過時間─速さ>の関係が問題にされる。 その問題はこうである:
なぜこの問題が重要になるのか? 答えがもし「YES」なら,速さの加減が,目的とする移動を実現する方法になる。 アタリマエのことを問題にしているように聞こえるだろうか? そう,アタリマエのことを問題にしているのである。 ただし,このアタリマエのことをきっちりやるとき,月着陸のロケットを飛ばす道も開けてくる。 このアタリマエをやることは,たいしたことなのである。 こういうわけで,「微積分」の意味の学習は,端的に,つぎの内容の学習である:
この学習の中で,実際にやっていることの形式として,「微積分」が現れてくる。 ──<経過時間─距離>から<経過時間─速さ>を導くのが微分で,その逆が積分である。 この形式は,関数のことばを用いて定式化される。 そのことばは,「実数を定義域・値域とする関数f: D→ (D ⊂ )」「fの導関数」「fの原始関数」「a∈Dにおけるfの変化率/fのグラフの傾き」「a∈Dにおけるfの積分値 (定積分)」等である。 この形式化により,「微積分」の応用領域が,「微積分」の出処になったものから一挙に拡がる。 例えば,「面積・体積の求積」が「微積分の応用主題」のとらえになる。 数学の「微積分」の入門書は,第1頁をこの形式から始める。 そこで,意味知らずの学習になるのもアタリマエ,ということになる。 高校数学の微積分にも,問題がある。 高校数学では,関数fのグラフとx軸の区間の間の面積を求める計算を「積分」として導入し,そして「面積・体積の求積」へ進める具合になっている。 そしてこの場合,積分と微分の対称的な関係が見えなくなってしまう。 高校数学の微積分では「微積分」の意味を学習できないということである。 |