5.2.2 〈自然数=系列〉の実現



 自然数(系列)の定義は,一つの〈形〉の定義であり存在の定立ではない。“自然数”は,存在の名ではなく形の名である。“自然数”とは,“対象は自然数の形をもつ”を簡約した言い方である。

 自然数──“自然数”の形をした存在(対象)──は,実現されてはじめて存在する。自然数を実現する以前に自然数はない。繰り返すが,自然数の定義は一つの形の定義であり,この形をもつものの定立ではない。一つの形を定義することとその形をもつ対象を定立(実現)することとは,別の話しである。

 特に,自然数という存在──“自然数”の形をした存在──は一つではない。“自然数”という形において互いに同型であるものが,色々と存在し得る。

 自然数(無際限に続く系列)を実現する方法は,唯一〈生成〉である──即ち
有限個の記号を,規則に従って組み合わせる》
という形のものである。実際,生成文法の導入を存在の実現と同一視することになる。

 われわれの実生活の中の“自然数”は,アラビア式および中国式自然数である。ときには,ローマ式自然数も使われる。但し,中国式とローマ式は,生成文法が項を無限に生成するものになっておらず,理論的には“自然数”と言えない。実用的に“自然数”ということである。

 数学では,周知のように,集合論において“入れ篭型”と形容されるアルゴリズムで自然数がつくられる。即ち,空集合φをもとに,
{φ},
{φ,{φ}},
{φ,{φ},{φ,{φ}}},
{φ,{φ},{φ,{φ}},{φ,{φ},{φ,{φ}}}},
・・・・
のように生成されるものを自然数と定義する。

 はじめ,はじめのそのつぎ,はじめのそのつぎのそのつぎ,・・・・ も自然数である(註)

 “生成文法の導入が自然数の実現である”という意味で,唱えることにおいてしか自然数は存在しない(“数え主義")。特に,自然数を“個数の抽象”という形で実現することはできない。個数は確かに“自然数”の概念化の契機ではあるが,“契機である”とは“個数の抽象という形で自然数がつくられる”ということではない。



(註) これの生成規則は,つぎのようになる:
  1. 記号列“はじめ”は自然数である.
  2. 記号列xが自然数のとき,記号列“xのそのつぎ”がxの後者としての自然数である.
  3. 規則 (1),(2) で定義される自然数が自然数の全てである.