Up 循環論法 作成: 2013-06-04
更新: 2013-06-04


    「量」は,形式である。
    「量」の形式を以て対象化されるのが,「量」である。

    「量」の形式は,《現象からの形式の抽出》の行為がもたらしたものである。
    この形式抽出は,「量の比」の形式の導出になる。
    この「量の比」の形式が,「数」に他ならない。

    「量」の形式は「数」の形式を因子にして構成されるものになる。
    すなわち,一つの数の系 (N, +, x) に対し,これから導かれる系
((N,+),×,(N,+,×))
    が,「数の系 (N, +, x) に応じる量」の普遍対象というものになる:
      「量」は,一つの数の系 (N, +, x) に対する「数の系 (N, +, x) に応じる量」であり,そしてそれは,((N,+),×,(N,+,×)) と同型と定められた系 ((Q,), ×,(N,+,×)) のことである。


    よって,量 ((Q,), ×,(N,+,×)) で成り立つことは,((N,+),×,(N,+,×)) で成り立つことのなぞりに過ぎない。
    例えば,量の命題「のn倍は」は,数の命題「0×n=0」のなぞりである。

    では,「0×n=0」はどこから出てきたか?
    のn倍は」からである:
    のn倍は」は,「量」をわれわれはこのように見ている・見ようとしているということである。

    一方に見方としての「量」があり,一方にこの見方の理論的回収としての「量」──数の理論の中に収まる「量」──がある。
    両者を混同するとき,循環論法をやってしまう。

    ただし,このことをわきまえたところで,方便として,循環論法スレスレ,ないしもろに循環論法をやることもある。 ──つぎは,これの場合になっている: