遠山の「数は量の抽象」論は,荒唐無稽である。
実際,これをもとにして量計算などやろうとすれば,循環論法になる。
──このことは,少しく論理を扱える者なら,簡単に見てとれる。
そこで,つぎの疑問がわく:
なぜ,この荒唐無稽が起こってしまったのか?
なぜ,この荒唐無稽が受け入れられたのか?
なぜ,この荒唐無稽が起こってしまったのか?
私はつぎのように推測する:
- 「対立点をつくり出さねばならない」が前提にあって,無理をやってしまった。
- 自分では「すごくいい切り口を手にした」という思いがあり,独り善がりで突き進んでしまった。
- 内容を理論的にチェックする者が周りにいなかった。
(実際,チェックし出せば,「対立している相手」のようになってしまう。)
対立点を無理につくり出す様を,見てみよう:
ここで問題は一つの分岐点にくる。一つの道は初等数学教育から量を追放して,微分積分をとびこしてこれを20世紀の抽象数学に結びつける道がある。もう一つは量を中心において微分積分に発展し,それを高校までの最高目標とする道である。ところで私は後者をえらびたいのである。割合分数をとなえる人たちはおそらく前者をめざしているのであろう。([1], p.32)
和田理論では数は体をなしていない ‥‥ 数を体ではなく加群と考える ‥‥ 和田氏は関係数という考え方を導入する。([2], p.69)
分数小数を連続量の抽象的表現とみる立場を「量の分数」とよぶことにすると,これに対立する考え方は「割合主義」である。これは量の追放を意図したクロネッカー以来しばしば現れてきた考え方で別に新しいものではない。割合分数派の最高指導者である和田義信氏が明治38年にでたクニリングの『数え主義算術教授法真髄』という本をよりどころにしていることでも,その思想的系譜は明らかであろう。簡単にいうと割合分数というのは「数え主義」の復活‥‥ ([3], p.27)
割合分数の立場の人々は分離量から整数を抽出し,そこから二つの整数の組を考えていくことになり,連続量の詳細な分析を行うことはできない。だから比例などになるともう正しい系統をつくることはできない。比例というのは度や率の三用法を連結したものと考えることができる。たとえば「3mが200gの針金は8mでは何gか」という問題があったとき,まず1mの質量を求めて200/3gを得る。これは密度つまり度の第一用法であり,それから8mを求めるのは第2用法になる。「多から一」が第一用法で,「一から多」が,第二用法になる。([4], p.77)
割合分数‥‥を関係とみるか操作とみるか ‥‥ 日本の割合分数派はこの点の分析が不徹底で,ある場合には関係,ある場合には操作というように動揺している。たとえば割合分数の総本山である和田義信氏は10年前には「関係数」というコトバを使っていたが,数年前から「副数」というコトバを使っている。副数ということばは奇妙なコトバであるが,これは明治時代の数え主義の術語であって,今日ではオペレータ (operator) という意味である。([5], p.4)
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疑問のもうひとつ「なぜ,この荒唐無稽が受け入れられたのか?」の方は,「学校数学は「数は量の抽象」を択る」の章で論ずる。
引用文献 (著者はすべて遠山啓):
[1] |
量の問題について,数学教室, No.44 (1958, 8), pp.29-38
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[2] |
教師のための数学入門 VI,数学教室, No.52 (1959, 3), pp.68-75
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[3] |
量について,数学教室, No.55 (1959, 6), pp.24-27
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[4] |
量の系統,算数教育, No.6 (1959, 9), pp.69-78
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[5] |
量ではじめるか,割合ではじめるか──量の分数について,算数教育, No.28 (1961, 6), pp.1-8
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