Up | 「数は量の抽象」の歴史的背景 |
思想的優位を自負する「反権力」陣営は,この思想的優位を教育理論においても示そうとして,教育革新の運動をおこす。 運動の主体になったのは,日教組である。(「国民教育運動」, 1960年代) 数学教育の分野では,数学教育協議会 (数教協) が運動の主体となり,「数は量の抽象」が「反権力」の数学教育として打ち出される。 ──翻って,「数は量の比」が,「権力」側の数学教育と見なされたわけである。 「数は量の抽象」が「数は量の比」に挑んだ論争は,「割合論争」と呼ばれ,その内容がいろいろな文献に残っている。 「数は量の抽象」のイデオローグは遠山啓 (数教協) であり,これに和田義信 (文部省) が「数は量の比」を以て対する形になる。 |