Up | 学問が陶冶する一般的能力とは? | 作成: 2008-04-04 更新: 2008-04-04 |
──能力とことばは,対応するようにはなっていない。 それでも「体系的学問が陶冶する一般的能力」をむりやり表現してみるならば,以下のようになる。 この能力は,体系的に世界が見えるようにさせる。 見えない構造をとらえることをさせる。 一つのことに対し,これの意味溯行を行うようにさせる・含意を考えるようにさせる・他のこととの意味連関を探るようにさせる。 「思考レベルを本質的思考のレベルにシフトし,現前の問題を鳥瞰する」といった芸当をさせる。 体系的学問が陶冶する一般的能力を持っていることは,見えないため,意識されない。 アタリマエになっていて,それと指摘されても,自然な成長の内容のように思ってしまう。 そして,「勉強してもしなくても,たいして変わらない」「学校の勉強は役に立たない」と言い出す。 「学校に行く」「勉強する」によって自分のカラダに起こっていることは,自分を見てもわからない。 自分のカラダに起こっていることは,「学校に行かない」「勉強しない」で育った者との<差>という形でのみ認識される。 「学校に行く」「勉強する」の意味は,「体系的学問の勉強によって,本質的思考・論理的思考・科学的思考ができる能力が陶冶される」ということである。 「学校に行かない」「勉強しない」で育った者は,本質的思考・論理的思考・科学的思考に関しては,幼児のアタマのままである。 すなわち,幼児が本質的思考・論理的思考・科学的思考とは無縁という意味で,本質的思考・論理的思考・科学的思考とは無縁である。 |