Up 転移の様相 作成: 2008-03-14
更新: 2008-03-14


    勉強は,「一つを達成した後つぎに移る」で行う。
    大事なことは,「達成」を知るということである。

    達成に至る勉強は,はじめのうちは時間がかかる。
    「時間がかかる」ことが大事である。
    何に時間がかかっているかというと,「身に付く」ことに時間がかかっている。
    カラダのことは,時間がかかる。
    この時間を嫌がると,カラダにはなにも形成されない。

    「一つを達成した後つぎに移る」を繰り返すと,しだいに「達成」がラクに・速くできるようになる。 「カラダが出来上がってきた」ということである。


    例えば,論文作成の能力を身につけようとするときには,自分の一つの「下手」から始める。 これを「上手」にする作業をする。
    作業開始段階では,「上手」をまだ知らないわけであるから,自分のやることが「上手」に見えてしまう。 すぐに「できた!」となるわけである。 そこで,「論文指導」というものが,必要性として出てくる。

    「論文指導」とは,下手に対して「それは下手だ」と言うことである。
    そして,上手に至ったときに,「まあいいだろう。ではつぎの課題に進むとしよう。」を言う。



    (だんだんと,ラクに・速くできるようになる)


    「<達成に至る>をやらない勉強」は,どれだけやっても無駄である。
    なぜなら,それは勉強ではないからだ。

    「<達成に至る>をやらない勉強」とは,つぎのものである:

      一つのことに落ち着いて取り組むことができず
       (「落ち着きがない」),
      すぐ他のことに目移りして,別のことを始める。
      これの繰り返し。

    これは,癖になる。いやゆる「避け癖」である。


    「避け癖」がつくと,例えば「論文作成課題への取り組み」の場合だと,下手の連なりをつくる:


    ただし,当人は「達成」の経験がないので,上手を連ねていると思っている:



    「避け癖」がいったんついてしまうと,これの矯正はひじょうに難しい。
    自己矯正が難しいのはアタリマエだが,この場合は「指導」という形もうまく機能しない。 ──これは,つぎのように構造的なものである:

      自分では「上手にできている」と思っているわけなので,
      「下手」を言われることが受け止められない。