Up | はじめに | 作成: 2012-10-05 更新: 2012-10-12 |
ここで,「「算数・数学科の授業」の現前はどのようであるか?」の意味は,
本論考は,「どのような現前であるのみか?」に対しては,つぎを結論とする:
本論考は,以下の構成になる。 第1章では,授業とは何を実現しようとするものであり,したがってそのために何を行うことになるものか,の押さえをする。 この内容は,つぎの「教員の授業力」の章 (第2章) に進むための基礎/予備となるものである。 授業は教員と生徒の関係性である。 この関係性は,成長曲線としての教員と成長曲線としての生徒の関係性である。 ただし,授業をつくる主体は教員である。 そこで,特に「教員の成長曲線」の方を,第2章で主題にする。 これは,「授業力をつけることが,教員の成長」の意味で,「教員の授業力」の主題化である。 システムが現前するとは,システムに己を保つメカニズムがあり,これが働いているということである。 そのメカニズムは,システム励起運動である。 システムが現前するとは,それがシステム励起運動を続けられているということである。 システムとしての学校数学の場合,各種ムーブメントが「システム励起運動」に当たる。 算数・数学科の授業は,つねに各種ムーブメントの中にある。 そこで,これらムーブメントの押さえが,「算数・数学科の授業」の現前の押さえの中に含まれてくる。 この押さえを,第3章で行う。 第4章では,以上の考察をもとに,算数・数学科が数学を授業するものとはならないことを押さえる。 算数・数学科が数学を授業するものとならないのは,授業が教員と生徒の関係性だからである。 この関係性の機序によって,算数・数学科は数学を授業するものとはならない。 ──特に,数学の授業は,志向とか企画とか制度とかで成るものではない。 算数・数学科が数学を授業するものではないとなったとき,では算数・数学科は何をするものということになるのか? すなわち,
つぎが,結論である:
そして,第6章で,「何のためのものか?」を論ずる。 つぎが,結論である:
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