Up | 要 旨 | 作成: 2012-10-05 更新: 2012-10-11 |
このとき,教員の現前は人として成長してきたその成長曲線の端点であり,生徒の現前も人として成長してきたその成長曲線の端点である。 授業は,成長曲線としての教員と成長曲線としての生徒の相互作用であり,これが「授業は教員と生徒の関係性」の中身である。 この章では,「教員の成長曲線」を主題にする。 これは,「授業力をつけることが,教員の成長」の意味で,「教員の授業力」の主題化である。 「授業力をつける」を自分の課題としていない教員は,いるはずもない。 授業力のない教員とは,授業力をつける方法を知らない教員のことである。 このうちには,いまの自分の授業の形に慢心している者も含まれる。 授業力は,修業して得られていくものである。 修業は,修業道を歩むことである。 修業道のゴールは,形(かた) である。 「形(かた) を極める」が,修業の意識の形である。 そして,授業力をつける修業は,「導入・展開・まとめ」の授業の基本形が,形(かた) である。 しかし,教員は,「導入・展開・まとめ」を「形(かた) を極める」の「形(かた)」として捉えてはいない。 「導入・展開・まとめ」を初心者コースのように思っている。 あるいは,授業オプションのように思っている:
またこのとき,自分を融通無碍なレベルに達しているかのように思っている。 修業は,努めてこれを行っても,進歩の遅々たるものである。 修業がなっていない教員だと,授業力が低いレベルでずっとストップしたままになる。 修業の形は,「形(かた) を極める」としての「導入・展開・まとめ」を極めるである。 しかし教員は,この「導入・展開・まとめ」を行わない。 修業がなっていないわけであり,したがって伸びしろもない。 |