Up はじめに 作成: 2014-07-29
更新: 2014-08-07


    「算数・数学科教育法」のテクストは,「算数・数学の指導はこのようにすべし」を書く。
    「○○をすべし」を書くことは,「○○は,行おうと努めれば,行える」と定めていることになる。
    一方,「○○は,行おうと努めれば,行える」は,これを直接言えば,嘘になる。

    算数・数学の指導はこのようにすべし」は,無理難題を言っている。
    無理難題になる構造が,ここにはある。
    先ず,「算数・数学の指導はこのようにすべし」は箱物だということである。
    そして,「算数・数学科の授業ができる」という様態がそもそも存在しないということである。

    箱物だとは,どういうことか。
    算数・数学の指導はこのようにすべし」は,ことばで述べる。
    ことばは一般概念である。
    「箱」である。

    「算数・数学科の授業ができる」という様態がそもそも存在しないとは,どういうことか。
    「算数・数学科の内容は没論理」と「教員の実際」が条件になって,それは存在しない。


    一方,無理難題には無理難題の機能がある。
    それは,受け手の側に仕事を起こすということである。

    これは,広い意味の「経済」である。
    仕事は,仕事がなければならないから,つくられる。
    仕事は,むりやりつくらねばならない。
    その方法が,「箱物」であり,「無理難題」である。
    箱物は内容が埋まることがなく,無理難題は解決されることがない。
    そこで,ずっと使える。
    看板のかけかえによって,同じ手を何回も使える。

    「無理難題」は,解決されないことがこれの機能性である。
    これを持つことは,これをずっと負担にしていくということである。
    しかしこのことは,受け手にとって,自分が浮遊しないための重しになるという効用がある。
    実際,ひとは,無理難題を自ら求める存在である。

    自分がいまひとの平均値にあるのは,無理難題でジタバタしているからである。
    ジタバタをして,ちょうど/やっと釣り合っている。
    いまの自分がありこれからの自分があるとは,浮遊しない行動を続けてきておりこれからも続けるということである。
    そしてこのことに,無理難題が使われる。


    本サイトは,「算数・数学科教育法」に関わってつくってきたテクストの庫 (文書庫) である。
    庫は自ずと主題の構成を現すことになり,それはつぎのようになった:

    先ず,つぎの3部において,「算数・数学科の授業はこのようにすべし」の「無理難題」が示される:
      第1部 数学の勉強
      第2部 数学の授業法──授業設計&指導法
      第3部 授業作成各論──主題分野別
    続いて,つぎの2部で,上の無理難題の「無理難題」たる所以が示される:
      第4部 「学校数学教員」 論
      第5部 「学校数学」 論
    そして,以上を受けて,結論をつぎの最終部で述べる:
      第6部 「算数・数学科授業作法」
    即ち,授業するとはどういうことかを述べる。